『日常の出来事や、一緒に生活している人々の喜びや悲しみのうちに、同僚の人間的な熱意や家庭の小さな出来事を通して、神は私たちを呼んでおられます。』
第一回目は、「愛から生まれる何か大きな事」と題された、召し出しの識別に関する記事です。一人ひとりの人間は、自らの人生のために神がお立てになった計画を発見するよう招かれています。
―命を軽視しているような人をどのように助けるか、極限状態に直面して中絶、安楽死などの悲劇的な解決法を選んだ人たちをどのように導くか―
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第五章からの抜粋。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第一章からの抜粋。
すべてのキリスト者に共通している点はとても多いのです。しかし、いまだに残っている分裂は、教会の体の傷です。キリスト教一致祈祷週間にあたり、エキュメニズムに関する記事を掲載します。
ここに紹介する小論は、オプス・デイへの召し出しを考えている人やその家族の人たち、あるいは、深く召し出しについて知りたいと望んでいる人々にお役に立つものと思います。著者のジョン・F・カバデイル(John F. Coverdale)は、セトン・ホール法科大学院(Seton Hall Law School)の教授で、オプス・デイに所属するカトリック信者です。なお、この小論は1994年に発表されました。原文で「福者ホセマリア」となっていた個所は「聖ホセマリア」と改めました。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第三章からの抜粋。
聖ホセマリアの説教、1967年10月8日。
他の人を見る、キリストを見る、自分が見られる...。この記事では、観想する(何よりも神を観想する)とは、見ることを知り、人生をより美しくする清い目を持つことを意味すると説明されています。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第四章からの抜粋。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第二章からの抜粋。
私たちが生きている今時代の一つの特殊な目標はキリストはもう流行おくれと思われている人々に新しいキリストの教えを伝えることでしょう。ルイス・クラベル氏の記事を紹介します。