黙想の祈り:待降節
待降節第一主日:神の憐れみ
「主の憐れみが私たちを守ってくださるので、聖性の敵は、何も手出しできないでしょう。たとえ自分の弱さや過失によって倒れたとしても、主が馳せつけて私たちを助けてくださることでしょう」。聖ホセマリアによる待降節第一主日の説教(1951年12月2日)。
神のやさしさ(VII):救いの喜びを取り戻す
憐れみを与えるためには、神から憐れみを受ける必要があります。神に自分の傷を見せ、癒され、愛されるために。「罪人に厳しく、罪に甘いことの多い」世にあって、詩篇ミゼレーレは、魂を解放し、御父の家にいる喜びを私たちに与えてくれる偉大なゆるしの祈りです。
カテクイズ・イズ(17):イエス様のお友達

初聖体に向かって、準備をする子供たちのための短いビデオシリーズです。ユーチューブ・チャンネルInfinito mas uno Japan、無限+1(https://www.youtube.com/channel/UCXa-yT0ohkAhko7ltVmtp0A)からのリンクを提供します。
属人区長:「神の恩寵はどんな悲しみも乗り越えます」

フィリピンにおける司牧旅行においてフェルナンド・オカリス師は祈ること、愛の道具になること、ゆるすことについて話します。また師は、神は私たちと共におり、私たちを幸せに導いてくれると言います。(日本語字幕をお選びください)
福者アルバロ、尊者イシドロ・ソルサノについて語る

ちょうど80年前、1943年7月15日、尊者イシドロ・ソルサノは40歳の若さで帰天しました。翌年4月に福者アルバロ・デル・ポルティーリョが書いた尊者についての証言を掲載します。
20代の召命の生き方:若者6人の証言

20代にして神が人生において何を望んでいるのかなど、わかるものなのでしょうか?6人のオプス・デイの若者が、自身の召命との出会いと、その召命を日々どのように生きているかについて語ります。
属人区長オーストラリア訪問ハイライト

オカリス師:「オプス・デイとは建物ではなく、センターでもなく、組織でもありません。オプス・デイとは皆さん一人ひとりのことです」(日本語字幕をお選びください)。
エドワルドとラウラ、永遠の愛

両者はオプス・デイのスーパーヌメラリでした。医者のエドワルドは、病人への愛において際立っていました。ラウラは夫とともに、多くの人々に対して寛大に奉仕しつつ、喜びに満ちたクリスチャンの家庭を築きました。
神のやさしさ (V) :それは私にしてくれたことである。身体的慈善の業

この記事は、イエス・キリストが示唆された身体的慈善の業について語っています。キリスト者は、見知らぬ人であっても、他者の必要に対して背を向けることはできません。それは、キリストが私たちの助けを求めているのだから。
生きる力を育む教育

子育てをしている親が諦めに陥ることなく、家族生活における教育に情熱を燃やし続けることができるように励ましたいとの思いでこの文書は書かれています。これはオプス・デイのホームページで公開されている「家庭に関する文書」の新たなシリーズの一つです。
ユニーブの若者たちと属人区長との集い

世界各国から3000人の学生たちが、聖週間を永遠の都ローマで過ごすために集まりました。その期間、フェルナンド・オカリス神父は若者たちとの集いを数回もち、信仰や友情について語り合いました。
「主を知り、あなた自身を知ること」(5):神はどのように私たちに語られるのか

祈りにおいて神が使われる「言葉」は神秘的で、私たちの思い通りにはなりません。しかし、祈りに堅忍すれば、少しずつ私たちは自分の心の変化を実感するのです。
「全ての人に心を向け、全ての人に理解を示さねばなりません」

「物事を公平に人間的正義を持って扱うだけでは不十分です。それに加え愛情を注ぐ必要があります」。このビデオにおいて聖ホセマリアは、人間関係において多元主義と社会的共生を実現するための道しるべを提示します。(日本語字幕をお選びください)