フェルナンド・オカリスの生涯

オプス・デイの属人区長は、オプス・デイの使命である聖性への普遍的召命という教えを、所属する信者が使徒職を通して多くの人々に伝えるよう指導します。

属人区長の書簡

属人区長のメッセージ(2024年11月8日)

オプス・デイ属人区長は永遠の命への希望について黙想するよう招きます。

愛する皆さんへ。イエスが私の子どもたちを守ってくださいますように!

今月、教会の伝統に沿って、私たちは祈りにおいて特に亡くなった方々のことを心にとめます。これは当然のことながら、死後の命という現実についても黙想するよう導きます。この黙想が一人ひとりに示唆する事柄は、それぞれの個人的な状況や時によって異なることでしょう。

いずれにせよ、主が私たちを招きそのための手段も与えてくださっている栄光への信仰と希望を、しばしば新たにするようにしましょう。皆さんの多くは、聖ホセマリアの次の言葉を覚えているでしょう:「天国とはどのようなものなのか、考えてみましょう。『目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(一コリント2・9)。想像してみてください。私たちはそこに到着し、神と出会い、その美しさと愛を目にします。その愛は私たちの心に溢れんばかりに注ぎ込まれ、私たちを飽くことなく満たします」(指針、1935年5月、1950年9月14日、注127)。また別の機会には次のように言いました:「私は一日に何度も自分自身に尋ねます:『神の全ての美、全ての善、無限の驚異が、このつまらない土の器である私に、私たち全員に、注がれる時、それはどのようなものであろうか?するとあの使徒の言葉がよくわかります:目が見もせず、耳が聞きもせず…これは本当に苦労に値するものです、子どもたちよ、これは本当に苦労に値するものです」(家族の集いでのメモ、1960年10月22日)。

天国への希望を育むことはなんと素晴らしいことでしょう!私たちは聖パウロが書いた言葉を感じることさえできるかもしれません。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ1・21)。そしてこの言葉は、神と他者に奉仕するためにこの世で長生きしたいという願いを除外するものではありません(同1・22-24参照)。

私たちの永遠の命への希望を主が強めてくださるよう祈りましょう。そして私たちが「主との決定的な出会いに常に目を向け、主が私たちのそばにおられ、死は決して(決して!)勝ち誇ることはないと常に考える」(フランシスコ、一般謁見演説、2024年5月8日)よう主が導いてくださるように。神が私たちを天国で待っておられ、どんな時にも共にいてくださるという安心感は、地上での歩みの支えとなります。そしてそれは困難のただ中においてもです:「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマ15・13)。

すでにかなり進展している規約の適応に向けた作業のために祈り続けてください。また今月23日に叙階を受ける20人の新助祭のことも主に委ねましょう。

先日の私の誕生日における皆さんの祝いの言葉に心から感謝します。他の記念日や特別な祝日などにおいても同じことが起こるのですが、届いた手紙やメッセージの数があまりにも多いため、一人ひとりに個別に返事をすることが非常に困難です。常に、私が祈りにおいて皆さんに答えていると理解してください。皆さんの手紙やメッセージを読むにあたり祈りが欠くことは決してありません。

すべての愛情を込めて皆さんを祝福します。

皆さんのパドレ

フェルナンド

ローマ、2024年11月8日