限りなく慈しみ深い父である神

J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第一章からの抜粋。

聖三位一体(部分)エル・グレコ

私たちは神の子です。福音書はこの真理を明らかに述べています。ただ、残念ながら、この点に気付いていない人が大勢います。神との父子関係。神が私たちをイエス・キリストにおける子になるようお呼びになるということは、何物にも優る素晴らしい現世の財産をも軽く凌駕する豊かな宝物です。人々が神との父子関係を真に自覚しているなら、この世界はずいぶん異なった世界になります。差別も悪口も中傷もない世界となり、そこでは単純で明白な真理だけが支配することでしょう。濫用やマニピュレーションの余地はなく、連帯意識が成長するはずです。父なる神の子であることを自覚すれば、直ちに兄弟愛を生きるようになるからです。

神は私たちの父です。神はわたしたちに生命を与え、限りない愛情を注いで見守ってくださいます。私たちが神の摂理に見放されることはありません。確かに、時として、神の摂理と神のなさり方を理解するのが難しく感じられます。しかし、神である父の御腕に常に安心してお任せすることができます。このような見方をすると、普通の人々の生き方は真に深い意味を持ち、超自然的な富と人間的豊かさで満たされます。

神は私たちの父です。神はわたしたちに生命を与え、限りない愛情を注いで見守ってくださいます。私たちが神の摂理に見放されることはありません。

避け得ない日常の些事だが型にはまっていて値打ちなく平凡で単調というような思いは、消えてしまうことでしょう。家庭生活や仕事、日々の義務などは、実は、神の贈り物であり、人々のためによろこんで働く機会であることに気づくのです。そうなると、半分ファリサイ的、半分ピュリタン的な態度をとって、厳しい神と正しい関係を保つだけで満足するという、冷たくて萎縮した態度をとる余地はありません。神との付き合いが表面的になったり型にはまったりすることもないでしょう。神との父子関係を内的に深く理解すれば、神は絶えず傍においでになり、私たちを思いやってくださる父であることを自覚するならば、宗教を先に述べたようなものと考えるはずがありません。私たち各々の伝記は父である神の愛情深い摂理と手を携えて歩むのです。現実には歴史を通して孤独な生き方をした人間などいません。神はつねに子供たちの傍らにいて付き添ってくださるからです。

私たちの頭では到底理解できないほど困難な状況になることがあります。しかしその時でも、神の愛を疑うことはできません。そのようなときには、信仰が与えてくれる確実性を頼りにして、イエスを見るべきです。そのためにこそ、神は御子をこの世に遣わし、わたしたちが神の子となることができるよう、また、イエスを眺めることによって神の愛の深さが分かるようにと、お望みになったのです。人間性をとって人間の歴史の中に入り込んだ永遠の御子の言葉と生涯を通して、神が父であることをお示しになりました。キリストはその行いと言葉で御父を示し、御父の限りない愛を見せてくださったのです。