『主がお望みになる聖性は、毎日の仕事や義務を神への愛ゆえに果たすことによって達成されます。ところで、毎日の仕事や義務はたいていの場合小さなことの積み重ねなのです。』
人間のうちには、神を十全に知りたいという自然な欲求が存在しますが、その知識は、神ご自身の助けなしには到達することができません。神は、聖書に記された「救いの歴史」を通して、ご自身を三位一体の存在として啓示されました。この啓示によって、神は人間に、ご自身との交わりのうちに生きる可能性を与えようとしておられます。すなわち、人間が神の恵みといのちにあずかり、こうして最終的に幸福へと至ることができるようにするためです。
「人間は、創造から出発して、すなわち世界および人間の人格から出発して、理性だけで確実に神を、万物の起源や目的として、また最高の善、真理、無限の美として知ることができます」(『カテキズム要約』3番)。
私たちは皆、聖人となるよう神から招かれています。しかし、具体的に聖人になるとはどういうことなのでしょうか。さらに、どうすれば聖人になれるのでしょうか。
―命を軽視しているような人をどのように助けるか、極限状態に直面して中絶、安楽死などの悲劇的な解決法を選んだ人たちをどのように導くか―
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第五章からの抜粋。
人間の心の奥底には、幸せへの郷愁があり、それは最終的な住まい、決定的な祖国への希望を指し示しています。私たちは地上的な存在でありながら、永遠を求め、神を求めています。神は、宇宙の起源と目的であり、最高の善として、世界と人間そのものを通して確かに知ることができるお方です。
第一回目は、「愛から生まれる何か大きな事」と題された、召し出しの識別に関する記事です。一人ひとりの人間は、自らの人生のために神がお立てになった計画を発見するよう招かれています。
ここに紹介する小論は、オプス・デイへの召し出しを考えている人やその家族の人たち、あるいは、深く召し出しについて知りたいと望んでいる人々にお役に立つものと思います。著者のジョン・F・カバデイル(John F. Coverdale)は、セトン・ホール法科大学院(Seton Hall Law School)の教授で、オプス・デイに所属するカトリック信者です。なお、この小論は1994年に発表されました。原文で「福者ホセマリア」となっていた個所は「聖ホセマリア」と改めました。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第三章からの抜粋。
「社会の大部分の人は、もはや神を待ち望んだり、神に憧れたりすることはありません。神は無関心な対象となり、だれも神について語ろうとさえしないのです」。ベネディクト十六世はこのように述べました。その歴史的・文化的背景を探りながら、現代社会において神との関係性をどのように新たに見いだすかについて考えます。
すべてのキリスト者に共通している点はとても多いのです。しかし、いまだに残っている分裂は、キリストの体である教会の傷です。キリスト教一致祈祷週間にあたり、エキュメニズムに関する記事を再掲します。
他の人を見る、キリストを見る、自分が見られる...。この記事では、観想する(何よりも神を観想する)とは、見ることを知り、人生をより美しくする清い目を持つことを意味すると説明されています。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第四章からの抜粋。
J. エチェバリーア著、Itinerario de vida cristiana、第二章からの抜粋。