
聖ホセマリアの生涯-55
オプス・デイはスペインで生まれましたが、聖ホセマリアは最初から全世界で働く使命を受けたと確信していました。しかし、海外で公に活動をするためには、ローマ教皇庁の認可を得ることが必要です。

聖ホセマリアの生涯-54
スペインには独自の歴史をもつ様々な地方があり、それぞれ大学をもつ首都のような都市があります。知識人への司牧を重要視していた聖ホセマリアはこれらの町に学生寮を作る計画を温めていました。

聖ホセマリアの生涯-51
1940年代、オプス・デイはめざましい発展を始めました。これによってはっきり浮き上がった問題がセンターの管理と司祭の欠如でした。

聖ホセマリアの生涯-50
前回紹介したモンクロアの事件の翌年、新学年が始まって間もない頃、寮で働いていた数人の女性たちがやめるという事件がありました。

聖ホセマリアの生涯-49
1940年代の初頭、オプス・デイはスペインの色んな都市にも広がり、マドリードでは複数のセンターが生まれました。聖ホセマリアは、これらのセンターの管理(家事一般から建物の管理)の仕事を女子メンバーの一部が専門的に受け持つように望んでいました。

聖ホセマリアの生涯-48
オプス・デイの創立は聖ホセマリアにとって新しい家族を持つことを意味しました。それによって、神父の血縁の家族は色々な面で犠牲を強いられることになりました。

聖ホセマリアの生涯-47
1941年4月に神はドローレス夫人を突然召されます。これは神父にとっては計り知れない痛手でした。しかし、母親が担ったこの役割を、姉のカルメンが見事に引き継ぎます。

聖ホセマリアの生涯-46
聖ホセマリアの母親ドローレス夫人の一生は、晩年に息子が激しい中傷を受けることを目にしなければなりませんでした。