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聖ホセマリアの生涯-58

創立者は最初からオプス・デイが特定の国のためではなく、全世界で活動をするものと考えていたので、本部をカトリック教会の中心であるローマに置くのがよいと考えていました。そこでバチカンの人々にオプス・デイについて説明を続ける一方で、本部のための家探しを始めます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-57

1946年11月、再びローマに戻った聖ホセマリアはオプス・デイの本部となる建物と土地を探し、オプス・デイの統治やその精神に関する文書の作成など、様々な仕事に取り組みます。

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聖ホセマリアの生涯-56

1946年6月21日、聖ホセマリアはオプス・デイについてのローマ教皇庁の認可を得るべく、バルセローナを出帆しますが、大嵐に見舞われます。

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聖ホセマリアの生涯-55

オプス・デイはスペインで生まれましたが、聖ホセマリアは最初から全世界で働く使命を受けたと確信していました。しかし、海外で公に活動をするためには、ローマ教皇庁の認可を得ることが必要です。

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聖ホセマリアの生涯-54

スペインには独自の歴史をもつ様々な地方があり、それぞれ大学をもつ首都のような都市があります。知識人への司牧を重要視していた聖ホセマリアはこれらの町に学生寮を作る計画を温めていました。

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聖ホセマリアの生涯-53

1944年6月25日、最初のオプス・デイの司祭が3人誕生します。

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聖ホセマリアの生涯-52

1941年、イシドロ・ソルサノは身体に異常を感じます。

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聖ホセマリアの生涯-51

1940年代、オプス・デイはめざましい発展を始めました。これによってはっきり浮き上がった問題がセンターの管理と司祭の欠如でした。

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聖ホセマリアの生涯-50

前回紹介したモンクロアの事件の翌年、新学年が始まって間もない頃、寮で働いていた数人の女性たちがやめるという事件がありました。

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聖ホセマリアの生涯-49

1940年代の初頭、オプス・デイはスペインの色んな都市にも広がり、マドリードでは複数のセンターが生まれました。聖ホセマリアは、これらのセンターの管理(家事一般から建物の管理)の仕事を女子メンバーの一部が専門的に受け持つように望んでいました。

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