聖ホセマリアの生涯-51

1940年代、オプス・デイはめざましい発展を始めました。これによってはっきり浮き上がった問題がセンターの管理と司祭の欠如でした。

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1940年代、オプス・デイはめざましい発展を始めました。これによってはっきり浮き上がった問題がセンターの管理と司祭の欠如でした。センターの管理の問題は前回見たようになんとか解決の道筋がつきました。

司祭の問題というのは、オプス・デイには司祭が聖ホセマリア以外にいないという問題でした。神父はメンバーたちに霊的指導と養成に精力を注いでいました。しかし、赦しの秘跡は自分で聞かず、各自が好きな司祭に赦しの秘跡を受けるよう勧めていました。それはメンバーが神父に手足を縛られた状態になることを避けるためでした。しかし、やがてその不都合が明らかになり、メンバーの霊的指導とオプス・デイの統治の仕事に当たる司祭は、信徒のメンバーから出ないといけないと考えるようになりました。

ところが、これには法律的な難問がありました。当時の教会法によれば、司祭は自分が働く教区か修道会に属さなければならず、オプス・デイはそのどちらでもなかったからです。この問題の解決のため、聖ホセマリアは祈り考え、また教会法の専門家に相談しましたが、答えは見つかりませんでした。神が必ず解決してくださると信じ、古参のメンバーの三人を選び、司祭になる気持ちがあることを確かめた上で、彼らに司祭叙階の準備をさせました。その三人とはアルバロ・デル・ポルティーリョ、ホセ・マリア・エルナンデスとホセ・ルイス・ムスキスで三人とも工学部を卒業し、仕事をしていました。この状況を鑑み、司教の許可を得て、当時マドリードにいた一流の神学や教会法の専門家に頼んで、個別授業をしてもらいました。

1943年2月14日(女子部の創立記念日)、女子のセンターでミサを立てている間に、神は神父に解決法を教えたのです。ミサが終わるとポケットから手帳を取り出し、「聖十字架司祭会」と書き、また小さな円とその中に十字架という図を描きました。

つまり、オプス・デイと結びついた司祭の会を結成し、信徒のメンバーが司祭になれば、そこに帰属し司牧に励むという仕組みです。円と十字架の図は、世界の中に十字架(キリスト)を打ち立てることを意味すると考え、オプス・デイの印章にしました(写真)。神父は、司祭の問題が女子部創立の日に解決したことは、神がオプス・デイの一致の大切さを教えておられるのだと確信しました。

尾崎明夫