オプス・デイのセンターの家事一般を受け持つ管理部がその仕事を専門的なレベルにするには時間がかかりました。それは特に適当な設備と必要な経験が欠けていたせいです。
前回紹介したモンクロアの事件の翌年、新学年が始まって間もない頃、寮で働いていた数人の女性たちがやめるという事件がありました。聖ホセマリアはすぐ家事手伝いの女性たちの世話と養成にあたっていた修道女会に助けを求めました。神父の相談を受けたシスターは、当時ある貴族の家で働いていた経験豊富で優秀なドラ(写真)という女性が数日間暇であることを知り、彼女を説き伏せました。
ドラはまったく気が進みませんでしたが、シスターへの義理のため一週間だけのつもりでモンクロアに現れました。早速仕事に取りかかりました。仕事場をざっと見て、すぐにその仕事の多さと職員の不足を見抜きました。この大変な状況の中で喜んで働く管理部の女性たちの姿に心を打たれました。しかし、次の日曜日、この仕事をやめるとシスターに伝えに行きました。シスターはもう一週間続けるよう励ましました。これが何度も繰り返され、結局ドラはずるずると仕事を続けることになりました。
当時の管理部の責任者はこう言います。「ドラは本当によく働きました。アイロンかけ、クリーニング、裁縫を完璧にこなし、その掃除の仕方は文句のつけようがありませんでした。料理の腕前も一流で、立ち居振る舞いには気品がありました」。
ドラが寮に残ったのは、結局そこで働いていた管理部の女性たちへの同情と、聖ホセマリアへの尊敬だったようです。神父が学生寮に現れ、初めて話しを聞いたとき、神父の喜びに溢れた姿に、また「この上なく喜んでいなさい。あなたたちはみんな神に愛された娘なのだから」という言葉に強い印象を受けたと後に言っています。
こうしてドラはもう一人の女性とともに1946年3月にオプス・デイのメンバーになりました。この二人は管理部の仕事を専門にする最初の女子メンバーになったのです。聖ホセマリアはこれを神からの最大の贈り物と感謝していました。また例のシスターたちの会への感謝も一生忘れず、その創立者の列福式の際、修道会の本部にお土産をもってお祝いに赴いたそうです。(ドラは2004年ローマで帰天。ただいま列福調査が始まっています)。