身近な聖人聖ホセマリア

出エジプト記(33・11)はモーセについて、神は『その友に話すように、顔と顔を合わせてモーセに語られた』と書いています。慎みのベールによって小さなしるしが隠されているとはいえ、『友がその友と話すように』という言葉を聖ホセマリアに当てはめる十分な根拠があると思われます。そうすることを通して、世界の扉を開いて神が現存なさり、お働きになり、全てをお変えになるからです。(ラツィンガー枢機卿)

聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルは、一九〇二年一月九日、スペインのバルバストロのキリスト者の家庭に生まれました。幼い頃から苦しみを経験しました。わずか四年のうちに三人の妹が続いて死去し、その後父親のの事業も倒産したからです。けれども、このような出来事の中にあっても、喜びと神に対する信頼が揺らぐことはなかったのです。

一九二五年三月二十八日、二十三歳のとき、サラゴサで司祭に叙階されました。初ミサは、四カ月前にこの世を去ったばかりの父親の霊魂ために捧げました。この日以来、聖体祭儀が聖ホセマリアの生活の中心となり、司牧活動すべての原動力となったのでした。

一九二七年春、マドリードに移ります。貧しい人や見捨てられた人たちの世話をする慈善施設において過酷ともいえる司牧活動を繰り広げました。神と人々への献身的な働きを続けているとき、主なる神は聖ホセマリアにオプス・デイをお見せになったのです。一九二八年十月二日、数日間に亘っての黙想会の中での出来事でした。

一九四六年、聖ホセマリアは住まいをローマに移します。それは、オプス・デイの普遍的な性格の結果であり、ローマ教皇との一致の表明でもありました。永遠の都ローマから、熱烈に愛する教会に

役立つためのオプス・デイの使徒職を世界中に広げるために、懸命に働きました。

一九七五年六月二十六日正午に帰天。二〇〇二年十月六日、福者ヨハネ・パウロ二世教皇によって列聖されました。その遺体はローマにある〈平和の聖マリア・属人区長教会〉に安置されています。帰天以来、ホセマリアの執り成しのおかげで得た恵みに関する報告が、オプス・デイ本部に届き続けています。回心やキリスト教信仰をしっかり生きるという決意、各種の治癒、物的な恵みなどです。聖ホセマリアの生涯とその教えは無数の人々にとって霊感と助けを与えるものとなりました。多くの人々が、自らの信仰を強めるため、友のような聖なる司祭の取次ぎを求め続けています。