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聖ホセマリアの生涯-64

膨大な費用がかかるローマの本部の建築工事はドン・アルバロの健康を損ないました。さらに聖ホセマリア自身も1944年に発症した糖尿病が悪化していました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-63

オプス・デイの発展に伴い、新しいメンバーの養成が重要な課題となりました。聖ホセマリアは、メンバーの養成の仕事を任せられる人材の育成のため、ローマの本部に養成センターを作ることにしました。今度も資金の問題にぶち当たります。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-62

1946年から50年にかけては、オプス・デイの教会法上の解決とローマの本部の建設などの重要な仕事の中で、スペイン以外の国々で活動が始まっていました。この海外進出は綿密な計画もお金もなしに、また司祭ではない信徒のメンバーによって始められました。

伝記物語

黙想の祈り:聖ホセマリア列聖記念日(10月6日)

黙想のテーマ:「聖ホセマリアは神の働きに身を委ねた」「聖人の模範」「聖人の親密さと執り成し」

聖ホセマリアの生涯-61

聖ホセマリアは大きな迷いに苦しみます。神父は神学生の時代から教区の司祭の役に立ちたいという思いを抱いていましたが、そのためにはオプス・デイから脱退して、別の組織を作る必要があると考えたからでした。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-60

1947年にオプス・デイは、教会の中に新しく生まれた在俗会という形を取りましたが、在俗会には結婚している人は入れませんでした。しかし、聖ホセマリアは在俗会の規約に「会員の中に様々な種類がある」と書いてあることに気がつきました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-59

1946年6月から49年まで聖ホセマリアは7度もスペインとイタリアを往来します。オプス・デイがスペインだけでなく全世界に使徒職を展開するためローマに本部を移す、新しい時代が始まろうとしていました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-58

創立者は最初からオプス・デイが特定の国のためではなく、全世界で活動をするものと考えていたので、本部をカトリック教会の中心であるローマに置くのがよいと考えていました。そこでバチカンの人々にオプス・デイについて説明を続ける一方で、本部のための家探しを始めます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-57

1946年11月、再びローマに戻った聖ホセマリアはオプス・デイの本部となる建物と土地を探し、オプス・デイの統治やその精神に関する文書の作成など、様々な仕事に取り組みます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-56

1946年6月21日、聖ホセマリアはオプス・デイについてのローマ教皇庁の認可を得るべく、バルセローナを出帆しますが、大嵐に見舞われます。

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