ゆるすことを学ぶための聖ホセマリアへの九日間の祈り

聖ホセマリア・エスクリバー言葉の黙想とその取り次ぎによって、ゆるすことができるようにと神に願う。

ゆるしのノベナ(九日間の祈り):フランシスコ・ファウス神父著。教会認可済(ブラジル、サンパウロ)。


紹介

聖ホセマリアへの祈り

【一日目】 心の平和のために

【二日目】 理解と赦しのために

【三日目】 高慢を克服するために

【四日目】 怒りに打ち勝つために

【五日目】 憎しみを克服するために

【六日目】 家族内の言い争いを克服するために

【七日目】 最初の一歩を踏み出すために

【八日目】 悪に善を返す

【九日目】 聖母のお助けを求めて


紹介

頭の中で赦すというのと、現実生活の中で具体的な人を赦すこととは全く別のことです。自分自身のために赦しを求めるのは当然ですが、他人を赦すために英雄的な努力が必要な場合には、神がお与えになる事の出来る立派な心を、聖ホセマリアの取次ぎによってお願いすることができます。

ノベナ(九日間の祈り)とは?

ノベナは、特定の願いがかなうように、あるいは、困難な状況に対する助けを求めるために、神に九日間連続で行う祈りです。ノベナの祈りは、一人で、または他の人とともに、唱えることができます。読書や考察を含めることもできます。ノベナは一年中祈ることができ、祝日の準備として頻繁に行われています。

毎日のノベナには2つの部分があります。

1. 聖ホセマリアの赦しについての著作からの抜粋

2. 引用されたテキストに基づく意向



聖ホセマリアへの祈り

祈願

神よ、あなたは聖母の取次ぎを通して、主の司祭・ホセマリアに数々の御恵みを与え、専門職とキリスト者としての日々の務めを果たしつつ聖性を求める道、オプス・デイ創立の忠実な道具となさいました。どうか私もまた、日常生活のあらゆる瞬間と状況を、主を愛する機会とし、信仰と愛の光をもって地上を照らし、教会と教皇、そして全ての人々に喜びと真心を込めて仕えることができますように。聖ホセマリアの取次ぎによって、私の願い(ここでお願いをする)をお聴き入れください。

アーメン

主の祈り・アヴェ・マリアの祈り・栄唱


【一日目】 心の平和のために

『道』258番

平和を奪い去る小心を退けなさい。心の平和を奪うようなものは神から来たものではない。神の訪問を受けると、「あなたたちに平和を与える…、あなたたちに平和を残す…、あなたたちが平和であるように…」という挨拶の言葉が、苦難のさなかにあっても、ほんとうであると実感できるだろう。

『鍛』649番

神の人であることの明らかな証拠は心の平和である。神の人なら、自ら〈平和〉を保っており、接する人たちに〈平和〉を与える。

『知識の香』166番

キリストがあまねくパレスチナ地方を巡って「善を行われた」ように、私たちも、家庭や社会、日常の仕事や勉学、休息など人間の辿る道において、〈平和の種蒔き〉作業を繰り広げていかなければなりません。

意向

主よ、私がどれほどあなたの平和を望んでいるか、ご存じでしょう。しかし、決して癒えない傷のような恨みや憤りを心に抱いている限り、それをいただくことができないと私はよく知っています。

私は、聖パウロが言ったことを言えるようになりたいのです。「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい… また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3,13-15)。主よ、あなたのお助けがなければ、私の努力だけでは、その平和を得ることは決してできないでしょう。

聖ホセマリアの執り成しを通して、人を赦すことができる恵みを謙虚な心でお願いします。他人の過ちや侮辱によって自分の反応がいかに正当化されているかを感じても、憎しみや怒り、嫌悪感、辛辣な感情などから、私の心を清めてください。

聖ホセマリアへの祈り


【二日目】 理解と赦しのために

『道』442番

他人のことを決して悪く思ってはならない。その人の言動を見て、そう判断するのが当然のようであっても。

『道』463番

愛徳は、〈与えること〉以上に、〈理解すること〉にある。だから、隣人を判断する義務のあるときは、その人のために言いわけを探してあげなさい。必ずあるはずだから。

『鍛』958番

常に隣人の立場に立って物事を考えなさい。そうすれば、種々の問題を落ち着いて見つめ、不愉快にならずに理解し、弁解し、必要なときには適切な方法で正すことができる。こうして、世界を愛徳で満たすのである。

意向

イエス様、私が気分を害され傷つけられたとき、人を理解すること、長所を見ること、そして赦すことがどれほど難しいと感じているか、お分かりでしょう。

「裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれないだろう。人を罪に定めてはならない。そうすれば、あなたがたも罪に定められないだろう。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されるだろう」(ルカ6,37)という、あなたの命令を果たすための恩恵をお与えください。

主よ、ご存じのように、私が人々について最初に気付くことは、否定的なこと、愚かで我慢のならないこと、耐えられないと思うことです。その結果、私は、人のことを悪く考えたり、悪く言ったりする悪癖を身につけてしまいます。

主よ、こんなに無慈悲な私を憐れんでください。私はあなたの慈しみに相応しくありませんが、聖ホセマリアの執り成しを通して、理解する心、赦す心をお与えてください。

聖ホセマリアへの祈り


【三日目】 高慢を克服するために

『道』446番

あなたがそれほど惨めであるのに、なぜ他人の惨めさに驚くのだろう。

『道』452番

侮辱されても、必要なら、最初の瞬間から赦す努力をしなさい。受けた迷惑や侮辱がどれほどひどくても、神はそれ以上にあなたを赦してくださったのだから。

『鍛』454番

使徒聖ヨハネは「互いに愛し合いなさい」という新しい掟をどれほど強調して教えたことか。芝居がかったことをするつもりはないが、私は自分の心の叫びに応じ、跪(ひざまず)いてあなたたちに頼みたい。神への愛にかけて互いに愛し合いなさい。互いに助け合い、互いに手を貸し合い、互いに赦し合いなさい。

そのため、高慢な心を退け、情け深い心を持ち、愛徳を実行し、互いに祈りと誠実な友情で助け合わなければならないのである。

意向

主よ、確かに、私は祈って、お赦しをお願いしていますが、私の気分を害する人をいまだに赦していません。『主の祈り』を唱える時、「わたしたちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします」(マタイ6,12)と言いつつ、御子イエスの言葉を軽んじている私をお赦しください。

誠実に自分を眺めれば、私の厳しさの裏に自らのプライドがあることに気づきます。自分が傷つきやすく、簡単に気分を害し、人の言動を悪く捉え、少しのほのめかしに対して気分を害することが分かります。イエス様、人から酷い扱いされたとき、あなたはどんな態度をとりましたか? 私が自分の罪であなたを不当に扱うとき、あなたは私に何をなさいますか? 私はちゃんと知っています。罪を告白するたびに、あなたは私に「あなたをゆるします」と言われます。

主よ、私は偽善者になりたくありません! 聖ホセマリアの執り成しを通して、ゆるすことを学ぶために不可欠な条件としての、謙遜になる恵みをお与えください。

聖ホセマリアへの祈り


【四日目】 怒りに打ち勝つために

『道』9番

今言ったことを怒らずに優しい口調で言い直してみなさい。あなたの言い分は説得力を増すだろう。何よりもよいのは、神に背かなくてすむことである。

『道』10番

憤りを感じているときは、決して他人の過失をとがめないようにしよう。翌日まで、必要ならもっと後まで、待ちなさい。そして、心が静まり、意向が清くなったなら、必ず諭しなさい。三時間も説き続けて得られなかった効果が、優しい一言で得られるだろう。短気を抑えなさい。

『道』656番

腹の中で憤りが煮えたぎっているときは、必ず黙っていなさい。たとえ、もっともな理由があって怒っているときでも。そのようなときは、いくら口を慎んでも必ず言い過ぎるからである。

意向

イエス様、「わたしは柔和で謙遜な者だから…わたしに学びなさい」(マタイ11:29)とおっしゃるあなたの言葉について考え、そして自分のことを考えます。自分の苛立ち、荒々しさ、内心に沸き起こる怒り、「自分が正しい」から他人に厳しくしても構わないという確信について。

聖パウロはいった。「すべての苦々しい思い、憤り、(…)誹謗中傷を全ての悪と共に除き去りなさい」(エフェソ4,31) 聖ホセマリアは誹謗中傷に対して、「心の穏やかさを保ち、働き、赦し、微笑を続ける」姿勢を常に保っていた。

柔和で謙遜なイエスの御心、聖ホセマリアの執り成しを通して、私の心をあなたの御心のようにしてください。

聖ホセマリアへの祈り


【五日目】 憎しみを克服するために

『拓』738番

〈侮辱一覧〉を後生大事に持っているなんて、なんと心の狭い人だろう。そんな不愉快な人とは、とてもじゃないが一緒に生活できない。

『拓』805番

旅の雰囲気のなかで、ある兄弟の感動的な挨拶を耳にしたあなたは思い出した。この世の正直な道ならいずれもキリストに対して開かれている。たった一つ欠けているのは、私たちが征服者の心意気で道に飛び出して行くことだ、と。

神はご自分の子らのためにこの世をお創りになった、子である私たちがそこに住み、そして聖化するため、この世界を創られた。それなのに、一体何を待っているのか。

『知識の香』64番

神は私たちのことを呆れ果てた奴だと憤慨なさることはありません。私たちの度重なる不忠実な行いにうんざりなさることもありません。

意向

神よ、恨みとは、自己愛と傲慢が心の中で開いて心をかき乱す傷であることを私は知っています。それは、憎しみによって霊魂の中で慎重に培われた壊疽です。神よ、私は恐れています。それが私の中に癌のように根付いていることが判ったからです。

恨みは悪魔のオーブン(かまど)だといった人がいます。その通りです。恨みは、神の子たちの人間関係を常に特徴づけるはずの愛と理解、平和を焼き尽くす、呪われた火だと感じています。

イエス様、私を解放してください! 頻繫な告解によって、この病気から解放されるようにお助けください。聖ホセマリアの執り成しを通して、赦し、そして忘れる力を天からお与えてください。決して恨みを抱くことがありませんように。

その代わりに、私の苦しみをあなたのみ心の中に置き、そこで「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ 23,34)という言葉を口にすることができるよう助けください。

聖ホセマリアへの祈り


【六日目】 家族内の言い争いを克服するために

『エスクリバー・デ・バラゲル師との会見集』108番

各々が、自分の欠点を正し、他人の落ち度を見逃す努力をするなら、誰もが幸せに生活することができる。

『知識の香』36番

私たちの態度は犠牲を伴った愛であるべきで、それは毎日、人目に触れない献身の業や黙々とした犠牲や理解などの数限りない小さな行いに表れければなりません。

『道』639番

沈黙に後悔はないが、お喋りは往々にして後悔を招く。

意向

人々の軽率さや無分別、無礼、短気、無作法を赦すことは、私にとって非常に難しいという事を、神よ、あなたはご存じです。私自身が同じ過ちを犯していることを認めるのはさらに困難なこともご存じです。聖ホセマリアの執り成しを通して、過剰な自尊心を克服し、「あくまでもへりくだりと優しさを持ち、広い心で、愛によって互いに忍び合いなさい」(エフェソ4,2)という、聖パウロの言葉を実行できるようお助けください。

主よ、自分だけが正しいことを知っているという頑固な考え、無礼な態度、些細な過ちにいらだつこと、取るに足りないことについて言い争うことなどから私を解放してください。沈黙を守り、微笑み、物事に対して機嫌のよい顔をし、誰かを強く叱ったとき「ご免なさい」と言えるような愛徳をお願いします。必要であれば、あなたを裏切るユダを園でお受入れになったときの英雄的なゆるしをお願いします。

聖ホセマリアへの祈り

【七日目】 最初の一歩を踏み出すために


『知識の香』64番

天におられる私たちの父は、どのような侮辱を受けても、私たちが痛悔の心をもち、赦しを求めて立ち帰る限り赦してくださるのです。私たちの赦しを得たいと望む心を主は予め知っておられ、自ら進んで腕をひろげ恩恵を与えてくださるほど慈悲深い御父なのです。

『神の朋友』228番

主がイニシャティブをとられる。主が先に、私たちに会いに来られました。望むところあって模範をお示しになりました。

『道』310番

ゆるしの秘跡においてこそ、あなたと私はイエス・キリストご自身を着、その功徳を身にまとうのである。

意向

慈しみ深い父である神よ、福音書を開くと、イエスが和解への第一歩を踏み出すこと、最初に謝罪し、ゆるしを与えることを、常に私に求めておられることを知ります。「その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをしなさい」(マタイ5,24)。

あなたご自身がなさったことを私にするようお求めになるのは、至極当然なことです。事実、聖パウロが言っています。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」(ローマ5,8)と。神よ、私は正しい、侮辱されたのは私だと確信している時、その最初の一歩を踏み出すのはなんと難しいことでしょう。超人的なことだと思えます。主よ、私はあなたのお力に頼る以外にそれを実行することはできません。

聖ホセマリア、私が誠実な告解をして、神のお助けを求める決心ができるよう、執り成しをお願します。ゆるしの秘跡においてこそ、必要な恩恵を見つけることができるからです。

聖ホセマリアへの祈り


[八日目] 悪に善を返す

『十字架の道行』第七留

わたしたちは何度も悪を働いたにもかかわらず、イエスは諦めず、寛大に罪を赦し、贖ってくださる。

『拓』864番

キリスト者の仕事、それは豊富な善で悪を溺れさせることである。

『鍛』650番

哀れにも〈憎しみをもつ人〉が石を投げつけるのなら、あなたも投げ返しなさい。ただし、〈アヴェ・マリアの祈り〉という石を。

意向

優しいイエスよ、自分が侮辱されたと感じると、私のうちに仕返しをしたいという感情が沸き上がってくることを認めます。これこそ、まさにあなたがなさらなかったことです。自分の想像力によって生まれた大小様々な復讐の空想を抑えるのは、なんと難しいでしょう。それでも私は、赦しを考えるべきだと知っています。

主よ、私がこう感じるとき、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5,44)というあなたのお言葉と、「悪に負けてはいけません。むしろ善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12,21)との聖パウロの言葉を思い出させてください。

主よ、どうか、上の言葉の黙想が、私に害を与えた人のために常に祈り、善を望み、「豊富な善で悪を溺れさせる」という決意を、聖ホセマリアの執り成しによって、私のうちに呼び起こすようお助けください。

聖ホセマリアへの祈り


【九日目】 聖母のお助けを求めて

『神の朋友』237番

聖母の神への愛は、私たち子供への配慮とひとつに溶け合っています。イエスの受難と死刑の際には、怒り狂った兵士たちと群衆の残忍な行為を目前にして、張り裂けんばかりの苦痛を耐え忍んだに違いありません。それでも、マリアは黙っておられる。御子と同じように、愛し、黙し、赦す。これこそ、愛の力なのです。

『拓』830番

あなたの哀れな心をマリアの甘美な無原罪のみ心の中に入れる習慣をつけなさい。聖母がたくさんの汚れを取り去ってあなたを清め、イエスの至聖にして憐れみ深い聖心のもとへ運んでくださるためである。

意向

慈しみの御母、憂き人の慰め、罪びとの拠り所であるマリア様、あなたは、私たちの罪を清めるため十字架上で血を流されたイエスのいけにえに結ばれておられました。私たちが人を赦すことができないとき、哀れな罪人の上に慈しみを注いでください。

恨みや怒り、或いは復讐心が私たちの中で燃え上がるとき、あなたを思い起こさせてください。あなたは私たちを愛し、汚れなきみ心の温もりで私たちの固い心を和らげてくださる御母であることを忘れないでください。

母よ、私たちを幼い子どものように抱きしめてください。あなたの微笑みで私たちの怒りを静め、御子から、わたしたちが恨みを掻き立てずに赦し、そして忘れる恵み、私たちをよく思わない人を愛して善を望む心をお贈りください。聖ホセマリアが祈ったように、母よ、わたしたちを慈しみ深く聖なるイエスの御心の奥深くへお導きください。

聖ホセマリアへの祈り


聖ホセマリア・エスクリバーとは誰でしょうか?

聖ホセマリア・エスクリバーは1902年1月9日にスペインのバルバストロで生まれた。1925年3月28日、司祭に叙階され、1928年10月2日、神の霊感を受けてオプス・デイを創立。1975年6月26日、執務室を見守る聖母の御絵を思い、深い愛の眼差しを向けた後、逝去した。

彼が亡くなった時点で、オプス・デイは6つの大陸に広がり、80か国6万人以上のメンバーを数えていた。聖ホセマリアは常に教えていたように、教皇ならびに司教と聖座に一致する司教たちと完全にひとつとなる精神をもって教会に奉仕していた。聖ヨハネ・パウロ二世は、2002年10月6日、ローマで、オプス・デイの創立者を列聖した。その記念日は6月26日である。

聖ホセマリアの遺体はローマ Viale Bruno Buozzi 75の平和の聖マリア教会に安置されている