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ゆるすとは恨みが未来を決めることがないようにすること
イエスの過越についての連続講話において、教皇レオ十四世は最後の晩餐におけるユダの裏切りについて考察し、裏切られても、見捨てられても、それでもゆるすことについて語ります。また8月22日を平和のための断食と祈りの日として過ごすよう招きます。
赦すことを学ぶために
人が人と共に生きるために欠かせないのは、赦しを求める能力と赦しを与える能力です。私たちは皆、弱さを抱え、ときに過ちを犯します。だからこそ、いかなるときでも立ち直れるように支え合うことが大切です。そのいちばんの助けとなるのが、多くの場合、「赦し」です。 ──ユッタ・ブルクグラーフによる寄稿
神のやさしさ(VII):救いの喜びを取り戻す
憐れみを与えるためには、神から憐れみを受ける必要があります。神に自分の傷を見せ、癒され、愛されるために。「罪人に厳しく、罪に甘いことの多い」世にあって、詩篇ミゼレーレは、魂を解放し、御父の家にいる喜びを私たちに与えてくれる偉大なゆるしの祈りです。