神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について(V)改心

フランシスコ・ルナ著(新田壮一郎訳)『神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について』より

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改心

主の眼差しは、上滑りなものでなく、いつも人の心の奥底にまで入り込みます。ここで言いたいことは、神の友情を取り戻すために、心の底からの内的な改心が必要だということです。「人の一生は、たえずわたしたちの父の家に戻ることだといえる。痛悔の心をもつとは、立ち返りたい、自分を変えたいという望みであり、生活を変えようという堅固な決心のことです。この改心には犠牲がともなうはずです。ゆるしの秘跡を通って父の家に帰るということは、罪を告白することによって、キリストを着ることです」(聖ホセマリア・エスクリバー「神の子の改心」参照、説教集『知識の香』に収録)。

この神への立ち返りが実現するよう、自分を見つめ、自分と神との間にある深淵を見つけ、神の恩恵に助けられてその淵を埋める努力をしなければなりません。もしこの努力がなければ、わたしたちの愛情は誠実さに欠け、罪に捕えられた状態を続けることになるでしょう。すると、イエスの言われた言葉がそのままわたしたちに当てはまることになります。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」(マタイ15・8)。