私たちは誰でも聖人になれる:聖ホセマリアのアニメ伝記
聖ホセマリア・エスクリバー(1902-1975)の生涯をまとめたアニメーション・クリップ。制作者のフアン・ジュヴァンチッチは、アルゼンチン出身ですがスロベニア在住のアートデザイナーです。彼はまた、福者グアダルーペ・オルティス・デ・ランダズリの生涯についてのアニメーションビデオも制作しています。

聖ホセマリアの生涯-5
田舎の教会での仕事を終えてサラゴサに戻ってきたホセマリアを、サラゴサ教区から追い出そうとしている動きを知ったホセマリアは、家族を伴ってマドリードに行くことに決めました。

聖ホセマリアの生涯-4
ホセマリアの初ミサは、聖週間(キリストの死去を記念する週)に当たっており、かつ亡き父のために捧げられものであったため、招待客も少なく、寂しい雰囲気の中で祝われました。

聖ホセマリアの生涯-3
真っ白な雪の上に裸足の足跡が続いているのを目にしたホセマリは司祭となる決心をしました。弟は生まれる。お父さんは亡くなりました。

聖ホセマリアの生涯-2
子どもの頃の十字架:妹たち三人が亡くなって、家族は故郷のバルバストロを離れログローニョに移住しました。

福者アルバロの生涯(2)
9月27日の福者アルバロ・デル・ポルティーリョの列福記念日にあたり、福者の伝記から青年期時代のエピソードを紹介します。

最高の贈りもの
1946年3月14日、ドラ・デル・オヨはオプス・デイへの所属を願い出ました。あらゆる状況の中で聖性の普遍的召し出しを伝えるために生涯を捧げる何万人もの女性の中で、家事を専門職とする最初の召し出しでした。聖ホセマリアは、聖ヨセフの祝日に、ドラのこの願いを受け取り、次のようにコメントしていました。「これまでの霊名の日の中で、最高の贈り物をもらいました。」

ローマでのドラ
チッタ・レオニーナのセンターの日記に、1946年12月27日という記念すべき日について「とうとう管理部が到着した。・・・台所とその周辺は見る見る内に姿を変えた」という簡潔な記述の後に「今日はよく整えられた食事をした」とある。