福者アルバロの生涯(2)

9月27日の福者アルバロ・デル・ポルティーリョの列福記念日にあたり、福者の伝記から青年期時代のエピソードを紹介します。

ドン・アルバルのニュース
Opus Dei - 福者アルバロの生涯(2)

 『オプス・デイ属人区長・アルバロ・デル・ポルティーリョ司教の思い出』、青年期(本書第三、四章より)

 ドン・アルバロが学校の思い出を語る時は、多くのよき先生たちへの感謝の言葉がいつもその口から溢れ出ました。彼らは、質の高い教育と洗礼で受けた信仰を実践することを教えてくれたのです。ドン・アルバロの恩師の一人が、エドワルド・コテロ先生です。この教師は1900年代の最初の30年間に、スペインで広く採用された書き方の教科書と練習帳の著者でした。後になって、聖ホセマリアもその練習帳を使っていたと知った時、ドン・アルバロは喜んだものです。

 ご聖体を拝領するためには、朝食抜きで学校に行かねばならなかったので、ミサが終わってから、紙に包んでポケットに入れていた朝食を食べていました。

 ピラール小学校に通っていた1921年5月12日、アルバロは初聖体を受けました。その時からアルバロはしばしば聖体を拝領するようになりました。その当時、聖体拝領のためには、前の晩から断食を守る義務がありました。学校では毎日ミサがあり、参加は自由でした。ご聖体を拝領するためには、朝食抜きで学校に行かねばならなかったので、ミサが終わってから、紙に包んでポケットに入れていた朝食を食べていました。

家族と、(アルバロは一番左の方に)

 青年期のアルバロを知る人たちは、彼の性格として、何年たっても変わらない自然さ、親しみ易さをあげています。彼らは、その後、技師、司祭、司教と身分を変えていくアルバロと付き合ったのですが、その変遷にも関わらず、いつもかつてと同じ付き合い方、同じ包容力、同じ友情を彼に見るのでした。ドン・アルバロの外見は、若い頃から温かくて親しみやすく、魅力的だったようです。後にマドリード大司教になるアンヘル・スキア枢機卿は、1938年に初めてアルバロを知った時の印象を「優雅で感じのよい若い学生」と記憶しています。そして、「骨の髄から善良で、会話においては親しみ易く、とても思慮深く闊達でした。彼と会った時はいつも、私も喜びに満たされましたよ」と言い添えています。

 何年もの間、夏は、ラ・グランハで過ごしていました。あれから何十年も経った後、聖体について話していた時、ドン・アルバロはカスティーリャ地方の日没に触れています。それはきっと、子どもの頃の避暑地で見た風景、また後に同じ山脈の麓に位置するモリノビエホにオプス・デイ創立者と一緒に行った時に再び目にした風景が目に焼き付いていたのでしょう。

「あの地方の平原は果てしなく広大で、遙か彼方からも日没を臨むことができました。太陽が地平線に触れるかと思える時、空全体が真っ赤に染まり、太陽は様々な色の光線を放ち、さながら大火事が起こったようでした。しかし、それは光の屈折による効果で、太陽は実際地面に触れるわけではありません。それに反して、太陽よりも遥かに強力な、太陽の中の太陽である聖体の主を頂く時、主は私たちの魂と体に触れてくださるのです。その瞬間、どれほど偉大なことが起こっているのでしょうか。キリストとの接触によって私たちの魂にはどれほどの炎が燃え上がるのでしょうか。恩恵は魂をどのように変化させているのでしょうか」。

 青年期の彼の趣味はごく自然でさりげないものでした。アルバロは、文学への傾倒を示すようになります。彼の文章力と輝くような文体は、彼を指導した教師たちのお陰だけではなかったのです。さらに、ドン・アルバロには、読書愛好者が手に入れたばかりの本に目を通す独特の習性も備わっていました。ドン・アルバロが素早く本の頁をめくりながら、目次、前書き、脚注、参考文献表に目を通す姿を、私は何度も目にしましたが、その仕草に彼の知的水準の高さを感じたものです。

アルバロはロバの側にいる

 アルバロは、その性格にふさわしく、スポーツマンでもありました。ハビエル・エチェバリーア師が、あるインタビュー記事の中で語っています。ドン・アルバロは、「水泳、ホッケー、ジョギング、テニス、馬術、サッカーをしていました」。ホセマリア・エルナンデス・デ・ガルニカによると、マドリードのピラール小中高等学校で学んでいた頃、「クラスのサッカーチームの中で、アルバロは相手チームのフォワードにとって大きな脅威となる、タフで紳士的なディフェンスだった」のです。1939年、軍隊でアルバロと一緒になった者たちは、彼は乗馬がとても上手だったことを覚えています。

 弟のカルロスが語るところによれば、1930年代、アルバロは写真に凝っていました。被写体に選ばれた兄弟たちに、様々なポーズをとらせ、撮影中は動かないようにと口を酸っぱくして注文を付けていたアルバロの姿を生き生きと再現してくれました。結果は、当時のカルロスにとっても驚くような出来栄えだったのです。

「神に仕えるため、多くの闘牛をこなさなくてはならないよ。私の息子アルバロへ」(聖ホセマリア)

 ドン・アルバロの家族が、代々、闘牛の愛好家であったように、彼も若い頃から闘牛が好きでした。オプス・デイのメンバーになる前、アルバロは友人たちと一緒に子牛を使った闘牛をするために小さな闘牛場を借りていたこともありました。成人してからも、有名な闘牛士のことをよく覚えていました。日常の会話で闘牛の用語を使うこともありました。スペインでは比較的よくあることです。ドン・アルバロが闘牛に興味を抱いていたこと、また、日々、多くの仕事と《格闘》していることをよく知っていた聖ホセマリアは、1949年頃に、1冊の『道』にドン・アルバロのための次のような献呈の辞を書きました。「神に仕えるため、多くの闘牛をこなさなくてはならないよ。私の息子アルバロへ」。


『オプス・デイ属人区長・アルバロ・デル・ポルティーリョ司教の思い出』。サルバドール・ベルナル著、中島貴幸監修。2014年6月25日発行。A5サイズ、389頁。

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