聖ホセマリアの生涯-8

1927年6月、聖ホセマリアはマドリードの病人援護会の担当司祭になりました。この記事ではそこでの彼の仕事の様子を紹介します。

当時のマドリードのスラム街

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病人援護会の会員や協力者たちは、マドリードのあちこちに様々な困難を抱え苦しんでいる人々を助けるために、町を駆け巡り、病人や瀕死の人々を訪問し、キリスト教の教えの初歩さえ知らない人たちの霊的な貧しさも癒やそうと努めました。その仕事にはどうしても司祭の助けが必要でした。なぜなら、聖体を運び、赦しの秘跡を施し、臨終の人の場合には病者の塗油の秘跡を授ける必要があったからです。この他に、複雑な家庭の問題を解決することも大切な仕事でした。

聖ホセマリアの仕事はミサや礼拝などの宗教的な内容のものでしたが、この慈善活動にも積極的に協力しました。援護会の会員たちから渡される、病人の名前、住所、日付が記されたメモを頼りに、町の郊外にさえ徒歩や市電で駆け付けました。冬にはぬかるんだ道の泥をはねながら、夏は埃の雲を立てながら、動物の汚物やごみを踏みながらということもありました。

当然、司祭の助けを拒む人もいます。神父自身がある頑固な人のことを語っています。「病人の家に着いた。奥さんに席を外してもらって二人きりになった。彼は言った。『わしは死んだる。告解なんかせぇへんで』、『でも、どうして』、『17のときに告解はせんと決めたんや。それからずっとこの決心を守っとる。結婚式のときもせんかった』。これらのことを話してから、15分くらいたって泣きながら告解をした」。

「ホセマリア神父様が失敗したケースを一つも覚えていません」とあるシスターは証言しています。神父自身、「神のお恵みのおかげで、いつも息を引き取る前に告解させることができた」と言っています。そのため、難しいケースがあると、シスターたちはエスクリバー神父に応援を頼みました。すると「どんなときでも喜んで来てくださいました」

こうして神父は体力を消耗し、空腹にも耐えねばならなりませんでした。道で乞食に会うと、自分の食事であったサンドイッチを与えるということがしばしばあったからです。しかし喜びは増していきました。

こうして20代だった聖ホセマリアは、社会のあらゆる階層の人間を知り、年齢に似合わぬ成熟さと現実世界の知識を身に着けました。そうして教会にある深刻な問題に心を痛めるようになったのです。