聖ホセマリアの生涯-7

1927年、家族のためにまだ収入が足らなかったので、新居で家庭教師をすると同時に、法律の予備校で教える仕事を得ました。神父は夕方の授業でローマ法と教会法を教えました

1927年春、ホセマリア神父は単身マドリーに到着しました。大学入学の手続きをし、仕事をさがしていたときに、慈善事業に専念する病人援護会という修道会がもつ教会の世話の仕事が舞い込んでいました。そこで11月にこの修道会の本部の近くにアパートを借り、サラゴサから母と姉と弟を呼びます。

この家族のためにまだ収入が足らなかったので、新居で家庭教師をすると同時に、法律の予備校で教える仕事を得ました。神父は夕方の授業でローマ法と教会法を教えましたが、受講生はとても満足していました。多くの学生は何らかの理由で大学の授業には出席できず、自分で勉強して大学の試験を受けていました。ホセマリア神父は親身になって彼らを助けました。学生の中に一人の父親がいました。よりよい仕事に就くために大卒の資格を得ようと予備校に来ていたのです。しかし、一日の仕事の疲れでいつも授業中に寝てしまうのです。神父はこの人の苦労に自分の苦労を重ね合わせたのでしょうか、特別の同情を寄せ無料で個人レッスンをし、そのおかげで彼は大学卒の資格を取ることができました。

ここでも学生たちと深いつきあいをしようと心がけます。授業が終わると、何人かの学生たちは家に帰る神父について歩きました。ある学生は証言しています。「私たちは神父の人となりに引かれていました。それは教育者としての魅力だけでなく、とても人情があり司祭的な振る舞いのためでもありました」。

生徒たちは神父の清潔な身だしなみと上品な態度に感心していました。それである日、神父が司祭服を真っ白に汚して現れたのを見て驚きます。その理由をしつこく尋ねて神父に重い口を開かせました。通勤の市電の中で、汚れた作業服を着た労働者が体をすり寄せてきたのですが、その意地悪い目的を察した神父は彼を強く抱きしめ、なだめるように言った。「ここに来なさい。私の服で顔を拭きなさい。これで満足かな」。

それ以上に生徒たちを驚かせたのは、ある先生の言葉でした。あの若い司祭は外見は立派な学者のようだが、法律を教える以外に貧民街の住民たちや病人の訪問にも精を出しているというのです。学生たちはにわかには信じがたく、それが本当かどうか賭けをして、尾行して確かめることにしました。