トレシウダ大聖堂でのミサにおける属人区長の説教

フェルナンド・オカリス神父は、8月15日に自身の司祭叙階50周年を祝いました。そして、8月20日に、トレシウダ大聖堂において記念ミサを捧げました。そのミサにおける説教を紹介します。

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第1朗読でイザヤの預言を聞きました。イザヤは、贖い主であるイエスの到来を予告し、イエスに「インマヌエル」という特別な名前を与えましたが、これは「私たちと共におられる神」という意味です。真に神は私たちと共においでになり、主ご自身 ―聖櫃に、聖体の中に私たちは主をお迎えしています― そして、御父、御子、聖霊の聖三位一体は、私たちの魂の中で恵みの内に共におられます。イエスは本当に、私たちを愛してくださり、ご自分のお名前が私たちと一緒にいるようにと望まれたのです。

第2朗読では、聖パウロから、私たちが神の子であることを聞きました。父なる神は、私たちを愛する父として、聖霊の力によって私たちをその独り子であるイエス・キリストと一致させることを望む父として、私たちとともにいてくださるのです。このことは、私たちの主との交わりや祈りにおいて、大きな希望と信頼を与えてくれるはずです。

ですから、信頼とともに感謝の心を持つことにしましょう。私たち司祭にとって、たとえば司祭叙階式の記念日のように特別に感謝する理由があります。皆さんも主に感謝を捧げる特別な時があるはずです。しかし、この神への感謝は、日常的なものであるべきです。何年も前、元日の前夜に、聖ホセマリアはご自分の決心を私たちに勧めました。ラテン語でUt in gratiarum semper actione maneamus 「常に感謝の気持ちを持ち続けることができますように」という意味です。私たちは常に感謝の気持ちを忘れず、主が私たちの魂に直接与えてくださる良いものを認める方法を知る必要があります。また、家族、職場、友人関係など多くの人々を通して主が与えてくださる良いものも認めなければなりません。常に感謝の心を持ち続けること。しかし、すべてがうまくいくわけではありません。苦しみ、病気、挫折、不幸などがあります。それは、『道』の中で聖ホセマリアが言っているように、主がご自身の甘美な十字架に私たちを与らせてくださるのです(『道』658参照)。苦しみの最中にあっても、神の愛を発見できるということは、信仰の問題です。これは、信仰を持って、イエス・キリストの十字架を見て、自分をイエス・キリストと一致させようとすることによってのみ可能となります。この信仰によって、神は真の愛であり、神は私たちを救うために十字架を選ぶほどの「狂気をもって私たちを愛してくださっているという、驚くべき真理が輝きでます。

聖ヨハネは、その書簡の中で、イエス・キリストとの関わりにおける自分の体験や他の使徒たちの体験を記していますが、その中で厳粛にこう言っています。「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。もしも私たちに、神の愛を発見するという信仰が欠けている時があれば、使徒たちがイエスに言ったように、「私たちの信仰を増してください!」とイエスに願いしましょう。また、すべての出来事に、たとえ理解できないことが多くても、私たちを大切にしてくださる父なる神がおられることを確信するためにも、信仰が必要です。

主は、私たちが困難に遭遇しても、この地上でも満足し、幸せになることを望んでおられます。「わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである」(ヨハネ15,11)と、自分の大きな願いを表すかのように、最後の晩餐の特別な瞬間に、使徒たちに向かって言われました。私たちが幸せになること、これがキリストの願いです。そのために、私たちに信仰が必要です。主に願いしましょう。今日、今、私たちの信仰を増してください。また、自分自身や自分の困難にばかり目を向けない強さを持ち、他の人にもっと心を開くことができるようにしてください。

福音書の中では、他の多くの驚くべき場面と同様に、聖母だけが、人々の必要に、誰よりも早く気づくという場面を聞いたところです。婚礼の支配人もそのことに気づきませんでした。聖母はぶどう酒が不足していることに気づいたのです。私たちも、自分のことを考えず、他の人が必要としていることに気付くことができるように、マリア様に願いしましょう。幸せになるための確実な方法は、他人に自分を与えること、他人を思いやること以外にはないからです。

聖ホセマリアは次のように言っています。他者への奉仕に身を捧げることは非常に効果的であり、主は喜びに満ちた謙虚さをもってそれに報いてくださいます(『鍛』591参照)。聖母の助けによって、私たちが神の子どもであり、神に愛されていることをより強く信じることができますように。また、私たちの人生のあらゆる状況において、私たちが神の計り知れない愛に伴われているという確信を、聖母によって得ることができますように。アーメン。