オプス・デイとの出会い、オプス・デイとは

こ の記事では、まずメディア報道の経験をお伝えし た上で、オプス・デイの本質、ビジョン、組織、 信者、主要メッセージ等について述べることです。著者の許可を得て、紹介します。

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オプス・デイとは

このオプス・デイ紹介記事は、Stella Maris誌より依頼をうけ、2022年2月発行のVol.14号に掲 載された寄稿文に、少し手を加えたものです。この記事では、まずメディア報道の経験をお伝えした上で、オプス・デイの本質、ビジョン、組織、信者、主要メッセージ等について述べることにします。

ダ・ヴィンチ・コードとオプス・デイ

「オプス・デイは秘密結社とかカルト教団と聞いていましたが、違うようですね」と取材時に感想を述べたのは、大手出版社の週刊誌担当記者でした。

ご記憶の方も多いと思いますが、2006年に封切られたコロンビアピクチャーズ配給の映画ダ・ヴィンチ・コードには、邪悪な陰謀をめぐらせている「カトリック教会」や現実とは関係のない荒唐無形な「オプス・デイ」が登場しました。

私は、当時、日本のオプス・デイ広報室で、メディアとの対応にあたっていました。テレビ番組を含めて二十以上のメディアから取材があり、冒頭の記者の指摘は、その中の一つの取材時のことでした。オプス・デイの本部で取材を受け、記者のどんな質問にも可能な限り丁寧に回答し、望みの場面をカメラに収録してもらった後のコメントでした。

映画の公開に先駆けて、配給会社の親会社である当時のソニー株式会社に、できる限り丁寧な表現を心がけた手紙を送りました。お伝えしたポイントは、

①映画は、カトリック教会を邪悪な姿で描いており、キリスト者の宗教的信条を傷つけていること、

②真実のオプス・デイは、ダ・ヴィンチ・コードが描くものとは無関係であること、

③映画は、現実と虚構がないまぜであり、視聴者が誤った結論に導かれ、カトリックへの共感を減じる可能性があること、

等でした。そして、企業の社会的責任には、人々の信条に敬意を払う行為が含まれており、多国籍多文化で動く企業はとりわけ、注意を払うべきことであること、オプス・デイやカトリック教会を知りたい方に情報を提供する用意があることを伝えました。

手紙の英語版も用意し同時に公開しました。これを、海外の配信社が取り上げ、内外のメディアがフォローし、上記の取材ラッシュになった次第です。

その前年には、ローマで各国の広報担当者の研修会があり、私も参加しました。当時、教皇ヨハネ・パウロ二世の広報局長をしていたオプス・デイ信者のホアキン・ナバロ博士を始め、広報分野の第一線で働く人が講師をつとめ、とても充実したものでした。そこで確認した対応方針としては、可能な限り、カトリック的な、平和で積極的なメッセージの発信をする、誰に対しても求めに応じた情報提供をする、ベストを尽くすとともにしっかりと祈り、祈ってもらうといったものでした。

おかげさまで、結果的には、その時期にホームページへのアクセス数やオプス・デイについての問い合わせが十倍以上に増え、興味をもって近づいてくる方々とのつながりが拡大し、これを契機に信者になられた方も出てきました。

オプス・デイとの出会い

ここで、簡単に自己紹介を兼ねて、私自身のオプス・デイとの出会いをお伝えしておきます。

曽祖父がリヨンでカトリックに出会い受洗をして以来、私の家系は、カトリックになり、私で四代目になります。1958年に関西の芦屋で幼児洗礼を受けました。幼児洗礼者にはありがちなことですが、カトリックの雰囲気には馴染んでいる反面、真面目に信仰の内容を勉強したことは、十代中頃までありませんでした。しっかりと信仰に向き合うには、オプス・デイとの出会いが必要でした。

出会いは、中学に入ってすぐに通い始めた英会話スクールでした。当時は、中高生向けのクラスはなく、大人のクラスに編入されたので、ついていくのに一苦労でした。二十代前半の英国人の男性教師が週末のプライベート補習を申し出てくれました。室内でするレッスンはせいぜい三十分程度で切り上げ、先生からの提案で、外を歩きながら続きをしようということになりました。今思い返せば、レッスンの記憶より、この先生と、六甲山を登山したり山道を走ったりして遊んだ記憶が鮮明です。彼がオプス・デイの信者であることがわかったのは、本人が一年ほどで、ロンドンに戻る直前のことでした。直接、信仰やオプス・デイについて聞くことはなかったと思います。その代わり、この人からは、信じていることと生き方が首尾一貫していること、日常で特別に変わったこともせずにキリスト信者として生きようと努めていることが、伝わってきました。初めて会ったタイプの人で、深い印象を受けました。

後に、紆余曲折を経て、自分にとってオプス・デイがピッタリくると意識するようになり、神の招き、召し出しに応える決心をするには、さらに五年程必要でした。

オプス・デイとは

オプス・デイを手短かに言うと次のようになります。

「日常の仕事とキリスト者としての日々の努めを果たしつつ聖性を求める道」日常の中で聖性を求める道とあるようにオプス・デイは、今いる場所から取り去ることはありません。信者の大部分は、既婚者で、スーパーヌメラリと呼ばれます。比較的若い独身時代に使徒的賜物に気付き独身を保つ一部の人(神の国のための独身者)はヌメラリやアソシエートと呼ばれます。筆者は、ヌメラリです。既婚であれ独身であれ、信徒であることにかわりません。普通の社会人として、外的にオプス・デイの信徒と他の人々を区別するものはありません。ごく自然に振る舞い、名刺にオプス・デイ信者と書くこともありません。無論、秘密ではないので、適時、表明しますし、聞かれたら、そうだと答えます。

一部の独身の信徒から、司祭叙階される人が出てきます。さらに、叙階をうけた教区司祭から、オプス・デイの協力者や司祭会のメンバーになる人も出てきます。いずれも在俗司祭であることに変わりはありません。

現在オプス・デイは、五大陸に広がり、約九万5 千人の信者(うち約二千人が聖職者、残りが信徒)が所属しています。信仰をおなじくするとは言え、オプス・デイの信者は、修道会のメンバーとは大きく異なります。修道者は、基本的には、世界から離れ、世を外から聖化する召し出しをもつ人々です。しかしオプス・デイの召し出しは、世の中にとどまるためであり、修道者になるためではありません。むろん、最大限、修道者を尊敬し、彼らの使徒職に敬意を払うことはいうまでもありませんが。

聖性への普遍的召命

オプス・デイは、1928年に、当時26歳のスペイン人司祭、聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルによって創立されました。彼はそれまでに、神が何かを要求しているという予感、祈りの中での照らしを受けていましたが、それが何であるのか具体的には分かりませんでした。十月二日、内的なメモを読んでいると突然、神が、何を要求しておられるのか「見えた」のでした。

聖ホセマリアは見たことの詳しい内容を話すことはめったにありませんでした。いつも「見る」という動詞を使い、オプス・デイの全体像を見たこと、何千、何万、何十万人、何億人の普通のキリスト者が、日常生活において聖性を求める姿を見たようです。

ここから、聖ホセマリアは、全ての人が聖人になるよう、神がお望みであることを悟りました。山上の説教で「あなた方の天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい」と話された通りです。

しかしながら、二十世紀始めのカトリック信者で、銀行家、主婦、技師といった人が聖人になることを神が望んでおられると聞いて、戸惑いを覚えない人は少数派だったようです。狂気の沙汰か異端であると考えた人もいたようです。当時の教会内では、それまでの歴史的な経緯もあって、聖人になるためには、司祭か修道者になるか、世を捨てる必要があるという考えが浸透していました。初代教会では、普通の生活をして、聖性を目指す「普通の道」があったのですが、だんだんとこの道を歩く人が少くなり、やがて熊笹に覆われた山道のように、見えなくなっていたのです。

幸いなことに、聖霊の導きと聖ホセマリアの忍耐強い取り組みもあって、それから約三十五年後の第二バチカン公会議では、全ての人が聖性に招かれていると宣言(教会憲章第五章、聖性への普遍的召命について)され、カトリックの教えとして再確認にされることになります。

カトリック教会法上の位置付け

聖ホセマリアにとって、1928年に神が示された組織の詳細がだんだんと明らかになりましたが、当時の教会法は、それを受け入れる用意ができていませんでした。聖ホセマリアは、オプス・デイの発展のために、暫定的な措置を受け入れた一方で、法的な面から、不適切な形態に落ち着いてしまわないように人々に祈りを頼みつつ、注意深く動きました。

1965年の第二バチカン公会議で、従来の教区に加えた新しい法形態として属人区(ぞくじんく) を設置する道が開かれ、後に教会法に規定されました。属人区といういのは、区分の基準が「地域」によって分けられる従来の教区とは異なり、移民や職業・典礼等の地理的ではない基準で分けられるもので、ラテン語ではプレラトゥーラ・ペルソナリスと言われます。

1969年から教皇聖パウロ六世により、オプス・デイを属人区とする可能性が検討され始め、十年以上かけて聖座とオプス・デイによる準備作業が行われました。その結果、1982年に教皇聖ヨハネ・パウロ二世は、オプス・デイを属人区として設置しました。

この時点からオプス・デイは、「オプス・デイ属人区」となります。(正式名称は、「聖十字架司祭会とオプス・デイ属人区」。聖十字架司祭会は教区司祭をメンバーとして受け入れる受皿)同時にオプス・デイの代表であった福者アルバロ・デル・ポルティーリョ神父が同教皇によりオプス・デイ属人区長に任命されました。創立者聖ホセマリア・エスクリバーが帰天してから七年後のことです。

どんな人がオプス・デイに入るのか

「オプス・デイに入りたいのですが、その方法を教えて下さい。」時々そういう電話を受けることがあります。冒頭のダ・ヴィンチ・コードの時は、立て続けにありました。

今なら、まず、オプス・デイのホームページ等で、基本的なところを読んでいただけたのかをお尋ねすることにしています。まだのようなら、いくつかのところを読むように勧めます。

そして、住んでいる地域を教えてもらい、その地域の信者と会うことを勧めています。今なら、オンライン面談という手もあるかもしれません。

オプス・デイに入るのは、召命をもった人に限られます。オプス・デイに加入を申し込むには、それまでに一定の付き合いをし、本人の心がまえや、適正もさることながら、本人が本当に望んでいる方向性と合致しているのかを見ていきます。本人とオプス・デイ側の担当者との双方に、「ピッタリ感」とでもいうものを持てるのかどうかが大切になります。

神と人々を愛する心から聖ホセマリアは、見極めの規準に関してこういっていました。「利己主義者や臆病者、無分別な人や悲観主義者、生温い人や愚か者、怠け者や気の弱い人や軽薄な人は、入る余地がありません。しかし、神に愛された人である病人、そして大きな心を持つ人なら、たとえ大きな過ちを犯した人であっても入る場所があります。」

別の時には、創立者は、オプス・デイに来てほしい人を書いています。「聖なる守護の天使たちの助けを求め、神と聖母マリアに心を上げて、使徒的な人たち、秀才ではないけれど教養があり、慎み深く、従順で元気な人をお送りくださるよう、お願いしないわけにはいきません。このような人たちこそ、その謙遜に対する報いとしてオプス・デイを立派に前進させることができる人間だからです。」

なお、オプス・デイのセンターに出入りするためには、召し出しが必要なわけではありません。実際、カトリックであろうとなかろうと多くの人がおられます。大半が信者の友人で、オプス・デイが提供する教理クラスや黙想会、霊的指導に参加する人々です。

聖性の普遍的召命に使徒職が含まれる

すべての人が聖性に招かれていると繰り返した創立者の聖ホセマリアは、2002年に列聖されました。次いで列福されたのが、上述した福者アルバロで、2014年です。2019年には、女性信徒のグアダルーペ・ランダスリが列福されました。その他、現在、列福列聖調査中のオプス・デイの信者は、十数名います。医者、主婦、家政婦、開発コンサルタント、技師、学生等です。老若男女、独身・結婚、聖職者・信徒と、多様な人々で、外面的には、共通点はありません。

共通するのは、聖性への招きをしっかり受け止め、自分の無力を心底認識する一方で、聖性に達することを心から神に希望すれば、与えられると確信していた人々でした。(彼ら彼女らのだれかを近くから知っている人と話すと、ある意味で安心します。私たちと同じ人間的な弱さや欠点をもっていた人たちでした!)同時に、一人ひとりの置かれた日常のあらゆる場面で、周囲の人々を神に導く使徒職に心がけた人々でした。決して、聖性を目指すことと使徒職を分けて考えていなかったようです。

教会の福音宣教の責任は、聖性に招かれている信者みなが共有しています。自身が聖化されることで、世界を聖化する、これが使徒職と言えます。聖性の普遍的召し出しは、使徒職の普遍的召し出しでもあるのです(第二バチカン公会議 教会憲章33)。ともすれば、宣教や使徒職というと、生活に外から付け加えらたこと、或いは、教会や巡礼といった特定の時間や場所に限定して捉えられがちです。多くの人が、日常とは異なるものと無意識に誤解をしているかもしれません。

初代キリスト信者の使徒職が模範

信徒は、仕事や転居で、世界中に移り住みます。世界を内側から聖化するのは、信徒の義務です。初代キリスト信者は、この義務を受け入れ、かなりうまく果たしました。聖ホセマリアは、この初代信者たちがオプス・デイの信者の模範になるといっていました。初代信者が生きたのは、激しい迫害時代、敵意に満ちた邪悪な文化の中でした。教会の建物も持たず、影響力のある組織もありませんでした。それにも拘らず、約300年でローマ帝国を改宗させたのです。

その間に、多数の敬¾で英雄的な聖人がいました。多くは殉教しました。彼らの証と勝ち得た恩寵を過小評価をすることはできません。しかし、古代世界のコミュニケーション手段を考えると、ある人の英雄的なふるまいや殉教のニュースが、僻地のキリスト信者にまで届くには、おそらく数ヶ月かかっていたことでしょう。その間、普通のキリスト者は、畑を耕し、商品を売買し、家事に携わって生活していました。

初代信者は、使徒職を実行しました。しかしそのやり方は、現代の多くの信者が考える使徒職とは、異なっていました。教会のミサやバザー、コンサート等に人を誘うことはしなかったし、そもそもできなかったのです。当時のミサは、閉鎖的な集まりで、個人の家で行われ、仲間だけに開かれていました。

初代信者は、練り粉の中のパン種のように、静かに、世の中を内側から聖化することに成功しました。二世紀に書かれた「ディオグネトスへの手紙」に詳しく書かれています。彼らは、自分たちの仕事をして、世界を改宗させた、つまり、神の仕事をしたといってよいでしょう。第二バチカン公会議の言葉を借りると、普通のキリスト者は、

「信仰、希望、愛の輝きをもって、特に自分の生活の証を通して、キリストを他の人々に知らせた。」(教会憲章31)ということになります。

聖ホセマリアは、普通のキリスト信者に、現代においても同じような慎ましい、しかし効果的な福音化を勧めました。それを、「友情と打ち明け話の使徒職」と呼びました。

聖性と使徒職は、イエスと私、私と友人とのそれぞれの友情が深まることで、私を介してイエスと友人が出会い、友情を深めるというイメージです。愛する心は一つしかないので、イエスと私の友情が深まることと、私と人々との友情が深まることは、無関係なものではなく、私を介してイエスが、友人達に出会い、招かれるのです。友人達の大部分には、たとえ、神の話をしていなくても、教会や活動につれていかなくても、神の使徒職はすでにスタートしているのです。ただし、条件が二つあります。ご聖体を始め秘跡や祈り等を通してイエスとのつきあいを深めることと、周りの人々のために祈りや犠牲をささげつつ、友情を深めるように努めることです。後は聖霊が思うままに導かれるようです。

仕事の聖化

求職中の青年は、ある日、自分の小教区で、シスターから「あなた、仕事を探しているのなら、仕事の聖人である聖ホセマリアに祈ったらいいわよ」と勧められたと聞いたことがあります。

確かに聖ホセマリアの創立したオプス・デイは仕事の聖化を強調します。ここで言う仕事は、専門職、家事、求職活動、闘病、その他、人の活動の全てを指す通常より広い意味です。仕事は、重要なものですが、それが全てではありません。せいぜい大事なものの一つという感じです。

仕事の聖化を邪魔する一つは、仕事中毒です。かなり多くの人が、アメリカのコメディアンのビル・マーレイ主演の映画「恋はデジャ・ブ」の主人公のように、エンドレスの労働の世界に紛れ込んでしまっています。黙示録の獣の唯物論に屈服した人は、額に666の印がつけられました。六日目が繰り返される、つまり七日目の休息がないのです。

また、パンデミックがきっかけになり、テレワークが劇的に増え、移動時間が減った反面、労働時間が増えたと聞きます。仕事の時間が、家族や休息の時間にますます入り込み、メリハリが失われ、疲弊している人もかなりいるようです。また、若い人は、オンラインでは、リアルな関係が希薄なことによりストレスを感じやすいようです。

さらに、コロナ禍とともに、実に多くの人々が職を失い、ますます生活が不安定になる人が増えています。失業と生活不安という二つの傷は、キリスト者に問いかけているのではないでしょうか。オプス・デイの属人区長フェルナンド・オカリス神父は、最近「他者の利益を追求する人々の創造性によって、雇用を維持・創出することは、おそらく今日、愛の要請の一つといえるでしょう。」(2021年5月1日メディア掲載記事)と述べています。

仕事中毒によっても、失業や生活不安によっても、人間の本来の生き方ができなくなります。挑戦し、課題を解決しよう、なんとか算段しようと、それだけにエネルギーを傾けるならば、取り組んでいることに隷属化し、全てを使い果たしてヘトヘトになってしまいます。もし、周りの方で、問題に終わりのない格闘され疲れていらっしゃる方がいらっしゃるのなら、「仕事の聖人」とも言われる聖ホセマリアの取次を是非求めるよう勧めてみてください。Googleで「オプス・デ イ 祈りカード」と検索すれば聖ホセマリアに取り次ぎを求めるカードがおそらくトップに出てきます。

生活の中心であり源であるミサ

主の日を聖とする命令は、休息する、立ち止まって考える、力を取り戻すというだけではなく、礼拝することです。礼拝なしで、仕事や仕事さがしは、乱雑になり、疲弊しがちです。礼拝は、仕事同様に、人間の基本的な必要事です。両者は、正しい割合で調和されるべきものです。

礼拝の中心は、ミサです。オプス・デイがカトリック教会の共通善に寄与したことの一つは、「ミサは、キリスト者の霊的生活の中心であり源である」との聖ホセマリアの教えで、このフレーズは、第二バチカン公会議の公文書「司祭の役務に関する宣言」十四番に採用されました。主日だけでなく、オプス・デイ信者は、可能な限り平日にもミサに参加します。(コロナ禍でミサが中止になるか、もともと地域によってはミサがない場合には、秘跡的に参加するわけではないにしろ、世界中でオンライン中継されるミサを視聴し、霊的聖体拝領を唱えることも可能です。)一日を、ミサ中心に半分にわけ、ミサの前の半日は準備に、後の半日は、感謝にあてるよう、聖ホセマリアは勧めました。

ミサは、一日の中心となることで、どこで何をしていても、ミサの延長となります。研究所の実験台や、クリーニング店のアイロン台、台所のまな板、テレワークの画面の前は、いわば、ミサを捧げる祭壇であり、そこから永遠最高の祭司であるキリストの御ミサを続けるというイメージです。また、ミサから、あらゆる活動のために必要な力をいただくことができることも、聖ホセマリアは教えました。これが、ミサが霊的生活の源であるという意味です。

オプス・デイの信者は、ミサに加え、念祷、ロザリオ、良心の糾明といった一連の日課を生活に組み込んでいます。週単位、月単位、年単位の霊的育成の機会もあります。これらは、各自の生活の状況に応じて、とても柔軟にフィットするものです。リストアップするとかなりの数に上りますが、誰も初めから全てを実行するように求められるのではなく、長い緩やかな坂道を、一歩一歩登るように、徐々に実行するように導かれ、気がつけば、春夏秋冬あらゆる時と状況においても「生きる」ことができるようになります。

霊的に寄り添うこと

私の生業は、主として学校・病院・博物館・NGO 等の非営利組織の資産管理やマーケティングの手助けをするコンサルタントです。これとは別に、

ライフワークとして、個別面談の形で霊的に寄り添うことを四〇年程続けてきました。記録をとっているわけではないのですが、その間に面談をした回数は、ざっと計算すると数万回の単位であることに気づきました。回数を重ねるうちに確信が深まってきたことは、自分が決して、神の良い道具ではないにもかかわらず、いやまずい道具であるからこそ、人の中で働かれるのは聖霊であるという思いです。

二十代の駆け出しのころは、こんな若造が相手の話を聞き、有意義な勧めを与えられるのかと、少々不安に思うこともあったのですが、ひところから、指揮者は聖霊であり、聖霊がその人の中でその都度方向性を示され導かれること、こちらのするべきことは、相手が種々のとらわれから解放され、神の促しや霊感に、より素直になるようサポートすることであるということがわかり始めてから、肩の力がぬけたように思います。

大半の方とは、毎週~二週間に一回のペースで面談を持ちます。始めは相手の状況や背景を含めてじっくりと話すために30分以上になることが多いのですが、回数を重ねるにつれ、特別なことがなければ、15分程度のやりとりで済むようになることが多いようです。霊的進歩の知恵の一つには、「よりシンプルに」というものがあります。だれでも始めは、自分の内面については、よく把握していないし、話すことに慣れていないために複雑に述べがちです。率直誠実に話すように務めるなら、徐々に単純明快に理解し話せるようになってきます。

現在、定期的に面談しているのは、学生、教員、研究者、営業マン、エンジニア、医者、映画監督、介護従事者、ガードマン、主夫、定年者、病人など多岐に渡ります。多くは、コロナ禍とともにオンライン面談にシフトしました。職場だけでなく、家族、社会生活のそれぞれの場で、信仰に合致した生活を果たそうと務めている方々です。

キリストにおける神の子という究極の宝

一人として同じ人はいない、それぞれの道があり、神は一人一人のためのシナリオを持っておられるようです。しかしながら、霊的生活の道では、本人が意識しているかどうか、また明確な形で現れるかどうかは別にして、転換点とでもいうポイントを通過するように思います。人によっては、転換点の通過は、霊的な夜と呼ばれる形で現れます。今まで感じていた霊的なことに対する喜びを失い、闇に閉ざされたように感じる時です。より多くの人には、事業の失敗、困難、病気、愛する人との別れといった誰にでもありうる経験を通してもたらされるように見えます。神は、当事者が今まで、自身がよりどころにしていたことを離れ、神の慈しみにより無償で与えられた「キリストにおける神の子」という身分、無償で与えられた宝にのみ希望を見出すように導かれるようです。

教皇フランシスコは、説明します。「わたしたちのだれもが、夜に、人生の夜に、たびたび訪れる人生の夜に、神と会うことになります。それは闇に覆われたとき、罪のとき、道に迷っているときです。そうしたときに、わたしたちはつねに神と会います。思いがけないときに、本当に独りぼっちのときに、神はわたしたちを驚かせてくださいます。その夜、自分がみじめな人間――いわば「あわれな者」――だと痛感します。しかし、そのように自分がみじめだと感じても、恐れることはありません。そのときにこそ、神はわたしたちの心を変えてくださいます。そして、神によって変えられた人にだけ与えられる恵みを注いでくださるでしょう。」(2020年6月10日 一般謁見演説)

皆様にとって当たり前のことかもしれませんが、私にとっては、聖書の多くの箇所がこの内的変化への招きであるように感じています。例えば、福音書の真福八端の最初にある「心の貧しい人々は幸いである。天の国はそのひとたちのものである」(マテオ5, 3)を始め、「あの方は栄え、私は衰えねばならない」(ヨハネ3, 30)「もはや私が生きるのではなく、私の中にキリストがいきておられる」(ガラテア2, 20)、地上ではなく天に宝を積む教え(マテオ6, 19)畑に隠された宝をみつけ、持ち物を売り畑を手に入れる教え(マテオ13, 44)などです。

ある日、レオナルド・ダ・ヴィンチの仕事場にやってきた人が質問しました。「どうやってこの大理石の塊から作品を作るのですか?」ダ・ヴィンチは、答えました。「モーゼ像は、この大理石の中にすでにあります。私のすることは不要なところを取り去るだけです」。私たちにも同様に、すでに心の中に、聖性と使徒職への招きを受けとっており、将来、神と対面する時に明らかになる、神の栄光に照らされて輝く究極の神の子の姿を秘めているのです。やるべきことは、自分をあるがままに受け入れ、聖霊が私たちを、形作り、不要なものを取り去ることに抵抗せず、毎日をイエスととも歩いていけばよいのです。父の家にかならずたどり着ける希望をしっかり胸にいだきながら。

オプス・デイの活用の仕方

最後に、一般の方々にとって、どのようにオプス・デイを、利用すればよいのかヒントとでも言えるものを掲げておきます。

  • インターネット情報
  • 書籍
  • 直接連絡

① オプス・デイのホームページ

「オプス・デイ HP」と検索してくだされば、トップに公式ホームページがでてきます。日本語を含む各国語に対応しています。オプス・デイに関する説明、種々の記事が掲載されています。上の帯の「信仰を育む」のコーナーは、教理や祈り方を解説していてお薦めです。

② 聖ホセマリアの著作を読む

「escrivaworks」と検索してくだれば、でてき ます。聖ホセマリアの著作で一般向けのものが各国語で読むことができるものです。全文検索が可能です。(日本語については、検索機能は現在準備中です。)

①聖ホセマリアの著作

■「道」 新装改訂版が 教友社より2021年4 月に出版

1934年の初版以来、あらゆる人種、国、社会的文化的階層人びとが、この著作によって神を知り、光と力とを見出してきました。各国語に翻訳され、発行部数が数百万部を越えています。

②オプス・デイの信者による本

■「天と地をつなぐ道: 聖ホセマリア・エスクリバー」、中井俊已著、 ドン・ボスコ新書

聖ホセマリア・エスクリバー神父の生涯や聖性についての小伝。

■「聖性への招き―ふつうのおばさん、おじさんも聖人に」、酒井俊弘著、教友社仕事を通して聖性にいたる道を説くオプス・デイを、ユーモアに富んだエピソードを交え、わかりやすく解説。オプス・デイ信者の日々の務めの解説もあります。著者は、現カトリック大阪大司教区補佐司教。

■「オプス・デイとの出会い―私の霊的な旅」、スコット・ハーン著、エンデルレ書店キリスト教福音派からカトリックに改宗した神学者の著者が、オプス・デイの創立、使命、自身に与えた深い影響を説明する。一個人の感動的な話であると 同時に、現在における霊性について多くを教える作品。日本語版は、残念ながら絶版だが、英語版 "Ordinary Work, Extraordinary Grace" は、手頃な値段で入手可能。

オプス・デイは、一般の方を対象とした、個別・グループでのプログラムを提供しています。主な狙いは、カトリック信者として基本的に知り実践しておくべきこと、PCに例えるなら、カトリックとして生きる上でのOS(オペレーティングシステム、基本ソフト)をインストールし、個別調整の手伝いをすることです。

ご興味のある方は、最寄りのオプス・デイのセンターに問い合わせるか、広報室にご連絡をください。

オプス・デイ属人区信徒

稲 畑 誠 三

この文書に関するお問い合わせ先 稲畑誠三 Seizo Inabata seizoina@gmail.com

2022年3月