マリア信心の歴史の中で、20世紀はファティマでの聖母の出現によって際立っています。 1917年、世界の大部分は続く戦争による苦しみに包まれていました。さまざまな国がしつこく対立し、暴力で問題を解決しようとする中、ポルトガルで、聖母は何人かの子どもたちに、真の平和への道を明かされました。 今日のミサのために教会が定めた祈りは、ファティマのメッセージを要約しています。「全能の神よ、あなたはおとめマリアをイエスの母に選び、またわたしたちの母としてくださいました。わたしたちが世界の救いのためにたえず償いと祈りをささげ、キリストの国の到来に役立つ者となりますように」[1]。聖母は3人の牧童たちに、御子の平和に与るために、祈りと償いの生活をする必要性を伝えました。 ファティマのメッセージは、イエスが公生活の初めに告げられた言葉の反響です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)。
ヤシンタ、フランシスコ、ルチアは、聖母との出会いの後、毎日ロザリオを祈り、神に犠牲を捧げるようになりました。 マリアの母としての願いに対する、この3人の幼い子供たちの忠実さは、世界中の多くの人々に希望の道を開きました。 ファティマ以来、聖なるロザリオの信心は、新たな勢いを持つようになりました。 今日、ロザリオを祈る多くの人々は、キリストの母が、牧童たちに教えた祈りを加えています。「ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より護り給え。また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え」。聖なるロザリオを祈ることによって、私たちは、どれほど大きな慰めを得ることができるでしょう!子供の回心をしつこく願う母親や父親が、経済的に不安定な状況に直面している労働者が、福音の喜びを生きそれを分かち合うことに全力を捧げたいと願っている若者が、ロザリオに頼ります...。それは多くの人々の人生の歴史を変えた祈りであり、私たちの人生も変えることができるのです。
ファティマの聖母のメッセージに従いながら、私たちは忍耐強く祈り、そして罪の償いをしていきたいと思います。福音書によれば、イエスは「気を落とさずに絶えず祈ることの必要性」を説かれました(ルカ18・1)。 聖パウロもまた、初期のキリスト者たちに次のように勧めています。「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマ12・12)。 祈りの力を大胆に信じ、神の腕の中に信頼して憩う心に、平和が生まれます。
私たちの祈りを見て、主は喜ばれます。 その御手は、私たちと周りの人々の個人的な歴史を含む全人類の歴史を、支えておられます。 黙示録は、祈りについて語るとき、香のかおりのイメージを使っています。 「香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った」(黙示録8・4)。 私たちの執拗な祈りに心をかけながら、主はそれを成就させるために、歴史の中で行動されます。ですから、私たちは、忍耐をもって祈ることを学びたいのです。御子が、私たちの言うことを聞いていないと思われることがあっても、マリアは、御子を信頼することを人類に教えたいのです。カナの婚礼で、イエスは、奇跡を起こすつもりがないように見えましたが、聖母は引きません。聖母は御子の返事の中に、何もしないようにという呼びかけではなく、大胆になれという招きを見ます。そこで聖母は、召使たちに向かって言われます。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハネ2・5)。そして奇跡が起こります。
「祈りの先生であるマリア。カナでどのように御子にお願いになるかを見なさい。根気よく、がっかりせず、執拗に願い、遂に望みを達せられるのを。学び取りなさい」[2]。 聖ホセマリアの助言の言葉は、私たちの祈りによって、主から多くの賜物を勝ち取る助けとなるでしょう。
ファティマの聖母のご保護は、マリアの無原罪のみ心の信心と、結びついています。 ラッツィンガー枢機卿はこう言っています。「『私の無原罪のみ心は勝利するでしょう』。これは何を意味するのでしょうか? 神の観想によって清められ、神に開かれた心は、銃やあらゆる武器よりも強いのです。マリアの心から出た『なれかし』は、世界の歴史を変えました。救い主をこの世にもたらしたからです。マリアの『はい』のおかげで、神は私たちの世界で人となり、永遠にそうあり続けることができたからです」[3]。
ファティマでの聖母の出現は、人が、もし、祈りを放棄するなら起こる危険性について語っています。 しかし、聖母は、私たちが悲観的な歴史観に陥ることを望んでいません。 聖母の無原罪の心は勝利します。 神との絶え間ない対話を続けたマリアの模範にならって、私たちも、最悪の罪を避けることができるのです。ファティマでのマリアの出現は、私たちに「破壊の力に対抗する力、すなわち神の母の輝きとそれに由来する償いへの呼びかけを示しています。 このように、人間の自由の重要性が強調されています。未来は実際、変更不可能と決まっているわけではなく、子供たちが見たイメージは、変えることのできない未来の予告フィルムでは決してありません。 実際、あらゆるビジョンの唯一の目的は、自由に目を向け、自由を肯定的な方向に導くことにあるのです」[4]。
純朴で信頼に満ちた私たちの祈りは、世界の歴史に私たちを巻き込みます。 それは、問題を知らない人の甘えでも、良心を静めることだけを考える人の無関心でもありません。 たとえば、ロザリオの連祷は、病人、罪人、移住者...など、苦しんでいるすべての人々と私たちを一つにします。彼らのために祈ることは、神の助けによって、彼らに安らぎを与えるという、私たち自身の責任を感じさせるでしょう。私たちは、福者アルバロ・デル・ポルティーリョの言葉をもって、ファティマの聖母に祈ることができます。 「私たちは、あなたの無原罪のみ心の中に身を置きたいと思います。 こうして私たちは、神の子としての喜びと平安を得るのです。 あなたを悲しませるすべてのことが、私たちをも悲しませますように。 そして、あなたの最も愛に満ちたみ心の奥深くに置かれた、御子の御心の中に私たちを置いてくださいますように」[5]。
[1] ローマ・ミサ典礼書、集会祈願、ファティマの聖母の記念。
[2] 聖ホセマリア『道』502番。
[3] ヨゼフ・ラッツィンガー、神学的注解、教理省、2000年5月13日(Theological Commentary, Congregation for the Doctrine of the Faith, 13 May 2000)。
[4] 同。
[5] 福者アルバロ・デル・ポルティーリョ、ファティマでの祈り、1985年11月15日。