「わたしは話すが、だれも聞いてくれない」。 「たとえ聞いたとしてもわたしを理解してくれない」。あなたを理解する人はいないのか。よく分かった。しかし、いずれにしても、あなたの十字架がキリストの十字架になるために、今はだれにも相手にされずに働く必要があるのだ。そのうちに理解する人も出てくるだろう。(十字架の道行の第三留)
なんと多くの人が高慢と想像でキリストのものでないカルワリオ、つまり苦しみの道に入り込むことだろう。
あなたが運ぶべき十字架は神からの十字架である。人間的な十字架を望んではならない。万一、そのような罠に陥ったときには、すぐに意向を改めなさい。主がわたしたちへの愛ゆえに無限の苦しみを味わわれたことを考えるだけでよい。(十字架の道行の第三留)
いかに深く愛しても決して充分とは言えない。
人の心はいくらでも大きくなる。愛するなら、愛情はすべての障害を克服してどんどん深くなるからである。
主を愛するなら、すべての人をそれぞれにふさわしく愛することができるだろう。(十字架の道行の第八留)