エマウスに行く途中で、イエスと弟子たちが話し合った場面を思い起こしてみましょう。人生が無意味に見えはじめるほど希望を失っていたあの二人と、イエスは歩みを共にされました。彼らの心痛をよく理解して、心の奥まで見抜き、ご自分の神的生活をいくばくか彼らにお伝えになったのです。
村に着いたとき、イエスはなおも先に行こうとされたので、二人の弟子はイエスを引き止め、無理に、泊まってくださるよう願いました。そして、パンを裂かれたとき、彼らの同行者がイエスであることに気づいたのです。「一緒にいてくださったのはキリストだった」と彼らは叫び、「『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」13のでした。人々にキリストをもたらすのは信者の務めです。人々が、私たちから「キリストのよき香り」14を感じとるように振る舞うのは信者の義務です。使徒である信者の行いの中に、師のみ顔が浮かび上がらなければならないのです。(知識の香105)