戦いについて考えてきました。ところで、戦いには訓練と適切な栄養が必要です。また病気や打ち身や負傷のときには応急処置も必要となります。秘跡は教会の主たる薬であって、余分なものではないのです。自ら進んで秘跡を放棄するようなことがあれば、イエス・キリストに従うことはできなくなります。生きるために呼吸や血液の循環や光を要するのと同じように、各瞬間に主がお望みになっていることを知るためには、秘跡が必要なのです。
強くなければ修徳に励むことはできません。ところが、力は創造主に属する能力です。私たちは暗闇であり主は明澄な輝き、私たちは病であり主は逞しい健康、私たちは欠乏であり主は無限の富です。私たちは弱い存在ですが、主は強めてくださいます。あなたはわたしの神、わたしの砦18、私の力はすべて御身から与えられます。キリストの救霊の御血がもどかしげに湧きだすのを邪魔するものはこの世にはありません。しかし、卑賤な人間のことですから目を覆って神の偉大さに気づかないこともあります。だからこそ、特に神の民を霊的に導き仕える、聖務を有する人たち、ひいては全信者に、恩恵の源を絶やさない責任とキリストの十字架を恥じない責任が課せられているのです。(知識の香80)