聖ホセマリアの生涯-41

内戦後権力の座に着いて新しいスペインの再建に当たったのがフランコ将軍です。同じ年の9月、ヨーロッパではソ連とドイツがいきなりポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まりました。

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内戦後権力の座に着いて新しいスペインの再建に当たったのがフランコ将軍です。同じ年の9月、ヨーロッパではソ連とドイツがいきなりポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まりました。1940年春にはドイツは破竹の勢いでほぼ西欧全域を征服し、ソ連にも攻撃を開始しました。ドイツのヒトラーはフランコに自己の陣営に加わることを提案し、内戦中ソ連に指導された共産党の圧政と迫害を経験したスペイン人の中には、ドイツと同盟しソ連と戦うことを主張する人も少なくありませんでしたが、フランコは中立を保ち世界大戦には参加しませんでした。これは疲弊した国土を回復するために賢明なやり方でした。ただソ連と戦うために個人的に義勇軍を組織して出征した人々もありました。

スペイン国内の政治においては、フランコは一党独裁制を敷きました。以前共和政府の側に立った人々は迫害されるようになりました。そういう雰囲気の中で、聖ホセマリアはいかなる政治的党派にも偏らないという方針を堅持しました。メンバーの中には反政府の人もいました。また戦争中に共和国側に与したため、誰からも見放されるようになった人に助けの手を差し伸べていました。当時腕を伸ばし掌を広げるあいさつが流行していましたが、神父は決してその動作をしなかったそうです。

またナチス・ドイツは共産主義を打ち負かす頼れる味方だという当時よく聞かれた宣伝に引かれてドイツに好感を持つ人は少なくありませんでした。そんな中で聖ホセマリアはナチスの非キリスト教的思想(人種主義を標榜し、安楽死法などの非人道的政策を実行し、またカトリック教会も迫害していた)を正確に見抜き、それをはっきり表明していました。

1936年7月スペイン内戦が勃発したとき、聖ホセマリアはバレンシアとパリでオプス・デイを始めようと計画していましたが、この計画は戦争によって中断しました。1939年3月やっと内戦が終わり、再び海外(フランスとイタリア)での使徒職の開始に向けて働こうと思った矢先、今度は第二次世界大戦が勃発しました。こうして神父はまずスペインでのオプス・デイの発展に全力を注ぐことになりました。そのスペインは内戦後、宗教的情熱に溢れていましたが、国土は戦争によって瓦礫の山となっていました。

尾崎明夫