聖ホセマリアの生涯-38

1938年7月「エブロの戦い」と呼ばれるスペイン内戦最大の激戦が始まり、前線で戦っているメンバーや若者から聖ホセマリアに送られる手紙の数はめっきり少なくなります。

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ブルゴスの聖ホセマリアの最大の心配事は、スペインのあちこちに散らばっているメンバーと家族のことでした。1938年7月「エブロの戦い」と呼ばれるスペイン内戦最大の激戦が始まり、前線で戦っているメンバーや若者からの手紙がめっきり少なくなりました。戦争はすぐには終わりそうではありません。

共産主義者の支配下にあるマドリードにはアルバロを初め数人の若いメンバーが残っていました。彼らの指導に当たっていたのは、アルゼンチン国籍をもつイシドロ・ソルサノでした。イシドロは若者たちを共産側から脱出させる手段を色々と試みましたが、全部失敗し、国境を越える手しか残っていないと判断しました。そのためには軍隊に入り前線部隊に配置されなければなりません。

上述した激戦のため、共和国は兵士の募集を始めました。アルバロとビセンテ・ロドリゲス、エドワルドの三人は困難な手続きをして、なんとか入隊することができました。しかも、なんと三人は同じ部隊に配属され、さらに部隊はブルゴス県の南にあるグアダラハラ県に派遣されたのです。

三人はこれに神様の配慮を感じました。入念に打ち合わせをし、10月11日の夜明け頃、激しい雨の中、陣地を脱出。一日中山中をさまよい、夜は洞窟で眠る。翌朝早く行進を再開するとかなたに村が見えました。そのとき教会の鐘の音が聞こえたのです。それはミサの始まりを知らせる鐘でした。ちょうどスペインの国民的祝日であるピラールの聖母の祝日でした。一年三ヶ月ぶりに教会でミサに与り、国民軍の事務所に出頭し事情を説明しました。ビセンテの父親は陸軍の大佐であったので、その後の手続きは簡単に済み、14日にとうとうブルゴスで家族と聖ホセマリアに再会を果たしました。

パドレは10月はできるだけブルゴスにいて、若いメンバーたちと過ごしました。しかし、激しい戦争は続いています。若者たちは各地に散って行かざるを得ませんでした。

聖ホセマリアは、できるだけ彼らと頻繁に会って霊的な指導を与えつつ、戦争が終わってからの活動について計画を立て、着々と準備を進めていました。

尾崎明夫