聖ホセマリアの生涯-37

1938年の夏、旅からブルゴスに帰ってきた聖ホセマリアは軍隊から呼び出され、一緒に住んでいたペドロ・カッシアロについて質問を受けました。ペドロがスパイ容疑で訴えられているというのです。

ペドロ・カッシアロ

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1938年の夏、旅からブルゴスに帰ってきた聖ホセマリアは軍隊から呼び出され、一緒に住んでいたペドロ・カッシアロについて質問を受けました。ペドロがスパイ容疑で訴えられているというのです。訴訟人はペドロの故郷の町アルバセテ出身で2年前にブルゴスに引っ越してきたベルムデス夫妻でした。彼らは国民派に属する人で、共和派の力が強くなった結果、家財を売り払い故郷を出たのでした。ペドロの父はその町の共和派の幹部だったのです。

それで、ベルムデス氏はペドロの父が共産主義者でアルバセテの右翼の人々の殺害にも責任があり、息子はスパイとして送られてきているという訴えを軍にしたのです。これは事実ではありませんが、無実を証明するのは難しく、とても危険な訴えでした。

聖ホセマリアは、夫妻と直接話そうと考えました。ペドロの父は確かに共和派ですが、決して右翼の人を殺害したことはなく、また司祭や修道者を助けてくれたこともあるのです。8月1日の朝、神父はホセ・マリア・アルバレダを連れて氏の事務所を訪れました。そして、できるだけ丁重にペドロとその父の無実を説明しました。しかし、氏はまったく耳を貸しません。神父は、無実の人を不当に死刑にするようなことをすれば、神の審判で厳しく裁かれるだろう、またそれがいつ来るか分からないと話しました。しかし、氏はかたくなに「父も子も責任を取らねばならない」と言い続けました。神父は悲しい面持ちで事務所を出ました。そばにいたホセ・マリアは神父が「明日かあさって葬式がある」と独り言を言うのを聞きました。夫人の方にはペドロとミゲル・フィサクが話しに行きましたが、こちらではもっとひどい言葉を浴びせられました。ペドロは打ちひしがれて帰ってきました。

その日の夕方、神父とミゲルが散歩に出かけると街角にベルムデス氏の葬儀の告知が出ていたのです。二人は氏のためにロザリオを祈りました。家に帰ってペドロにそれを伝えました。気分が悪くなりベッドに横になった彼に、神父は「神があの人を憐れみ、最期の瞬間に痛悔の恵みをお与えになったと確信している」とささやき、ビルバオの親戚の家に行って少し休暇を取るよう勧めました。

ベルムデス氏の死因は心臓発作でした。神父は神からの何らかの啓示を受けたようです。ペドロは生涯この事件を忘れませんでした。

尾崎明夫