聖ホセマリアの生涯-34

12月2日、聖ホセマリアとその一行はスペインとフランスの間にある小国、アンドラ公国に入国しました。ここで一年半ぶりに破壊されていない教会を見、また道で司祭服姿の司祭に会いました。

アンドラで撮られた写真。前列右からホセ・マリア・アルバレダ、ペドロ・カッシアロ、ホアン・ヒメネス・バルガス。後列左端がトマス・アルビラ、真ん中が聖ホセマリア。

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12月2日、聖ホセマリアとその一行はスペインとフランスの間にある小国、アンドラ公国に入国しました。ここで一年半ぶりに破壊されていない教会を見、また道で司祭服姿の司祭に会いました。必要な手続きを済ませホテルに入ります。翌日神父は正式の仕方でミサを立てました。

彼らはすぐにフランスを通ってスペインに行く予定でした。一行の一人ホセ・マリア・アルバレダの姉夫婦が太平洋沿岸のスペイン国境に近い町に住んでいたので、電報で車を送って欲しいと伝えました。

しかし、大雪が降り始め国境が遮断されます。もしピレネー越えの旅が一日遅れていたら脱出は失敗に終わったはずです。一行の中には激しい行軍のために足を悪くした者もいたし、パドレは足が腫れ手は30もの棘が刺さり大きくむくれていました。大雪のためホテル滞在が延びたのは体力を回復するためには都合がよかったことでした。

12月10日雪が止みます。他の脱出者たちと一緒にトラックに乗り込みフランス側の村に着きました。税関で24時間滞在の許可をもらいました。そこに送られていた車に乗り込み、その晩は聖母出現の地ルルドの近くの町に泊まりました。パドレは聖母マリアに感謝するためこの巡礼地に寄ることを望んだのです。早朝にルルドに到着し、地下聖堂でミサを立てました。パドレはペドロ・カッシアロに侍者を頼みました。ミサを始める直前、神父は後ろにいたペドロに小声で「このミサをお父さんのために捧げなさい」と言いました。ペドロは次のように振り返っています。「正直言うと、そのとき私は何も考えていませんでした。朝早く起きて朝食もとっておらず、頭がボッとしていました。パドレには祈らなければいけないことが山ほどあるのに、私の家族のことを覚えておられたのです。感動して『はい、そうします』と答えました。すると『そうしなさい、我が子よ、聖母にたのみなさい。そうすればどんなに素晴らしいことを君にくださることか』と言われました」。その日の夕方、パドレたちは国境の橋を渡ってスペインに入りました。