聖ホセマリアの生涯-32

ピレネー山脈を越えてフランスに入り、そこから自由なスペインに入るという計画は危険とともに多くの困難がありました。

リアルプのバラ

過去の記事はこちらから

ピレネー山脈を越えてフランスに入り、そこから自由なスペインに入るという計画は危険とともに多くの困難がありました。移動に必要な通行許可書を手に入れるのは容易ではありません。種々の費用、なかでも脱国隊の案内人に支払う高額の金が要ります。さらに山中の行軍に耐えられるかどうかの不安。だが最大の困難は聖ホセマリアの迷いでした。危険な地域に他のメンバーや家族を置いて逃げることがよいのか、という迷いです。迷いを払拭できないまま、神父は通行許可書を手に入れた数人のメンバーとともにマドリードを発つことにしました。親切な友人知人の協力で必要な資金を手に入れ、10月8日に出発。バレンシアを通って10日にバルセローナに到着。すぐに脱国を手助けするグループと接触を試みました。

窓口となった食堂の店主を通して脱国隊の案内人と連絡を取ろうとしました。最初のグループに加われなかったのですが、そのグループは山中で警備隊に見つかり全員逮捕され、その後警備がますます厳重になりました。このニュースが新聞に載ると、脱国の組織者たちは姿を消してしまい、時間だけが過ぎていきました。神父たちは焦る気持ちと空腹と戦いながら、毎日バルセローナの坂や階段を散歩して足腰を鍛えていました。同時に神父はこの町でも求める人に霊的な慰めを与えることに努めました。

やっと出発の日が決まりました。一行は11月19日ピレネーの山裾の町に向かうバスに乗り込みます。怪しまれないように二つのグループに分かれて。下車してから合い言葉を使って案内人と合流。山間の農家の人々は脱国者の味方でしたが、警備隊はどこにでも現れる危険がありました。特に道路沿いは。そこで急峻な山道を夜の間に上り下りしてフランスとの国境にある小さな国アンドラに向かうのです。

本格的な行軍が始まる直前、一行はリアルプという森の中にある教会の隣の建物に泊まりました。若いメンバーは疲れで眠り込んでしまいましたが、神父は残してきた人たちを考えて一睡もできませんでした。夜明けに一人で教会に入り、戻って来たとき、それまでに憂いが全く消え去り、顔は晴れ晴れとしていました。内部をめちゃくちゃにされた教会の床に木彫りのバラの花(写真)を見つけたのです。実は神父は聖母マリアに脱国が神の望みだということを示す証拠を頼んでいました。バラは「くすしきバラの花」とも呼ばれる聖母マリアからの答えと直感したのです。

尾崎明夫