聖ホセマリアの生涯-29

スペイン内戦中の聖ホセマリアの最大の心配事はメンバーたちの消息でした。1936年の秋にホアン・ヒメネス・バルガス、アルバロ・デル・ポルティーリョ、ホセマリア・エルナンデス・ガルニカ(チキ)が逮捕されます。

ホセマリア・エルナンデス・ガルニカ(1944年)

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スペイン内戦中の聖ホセマリアの最大の心配事はメンバーたちの消息でした。

1936年の秋にホアン・ヒメネス・バルガス、アルバロ・デル・ポルティーリョ、ホセマリア・エルナンデス・ガルニカ(チキ)が逮捕されます。学生寮の寮長だったリカルド・バリェスピン、学生であったペドロ・カッシアロとパコ・ボテーリャはバレンシアにいました。神父が直接会うことができたのはアルゼンチン国籍を持つイシドロだけでした。イシドロは外国人の身分を利用してマドリード市内を歩き回り、聖ホセマリアとメンバーたちや彼らの家族との連絡を取り、彼らを励まし慰めていました。神父はどこにいようが彼らのことを一時も忘れず、絶えず祈っていました。

刑務所の生活は残酷で死と隣り合わせでした。捕虜たちはしばしば夜間に連れ出され処刑場で銃殺されました。しかしメンバーが奇跡的に助かることが一度ならずありました。例えば、チキは処刑場に向かうトラックに乗せられたとき、誰かが自分の名前を呼ぶのを聞きます。彼は降りるように命令され、トラックは処刑場に向かい、彼は刑務所に戻ることができました。ホアンのいた刑務所では廊下ごとに捕虜たちを銃殺するために連行していました。ホアンの番が来ました。トラックが来て捕虜たちは順番に乗っていきましたが、彼の4人前までの人を積んで行ってしまいました。トラックは戻って来ず彼は命拾いをしたのです。

アルバロはもと学校だった刑務所の聖堂に詰め込まれていました。捕虜の数は約400人。あるとき民兵が祭壇に上って横にあった聖人像の口にタバコを突き刺しました。アルバロの近くにいた一人がそのタバコを取り除くと、彼は即座にピストルで撃ち殺されたのです。アルバロも民兵にピストルを頭に当てられ「お前は司祭に違いない。なぜならメガネをかけているからだ」と言われることがありました。いつ殺されても不思議ではなかったのです。

しかし、ホアンもアルバロも1937年1月にはっきりした理由なしに釈放されました。チキだけがバレンシアの刑務所に移送されたが、彼も7月には釈放されます。ホアンは「我々全員が奇跡的な仕方で命を救われるということが次々と起こった」と言います。彼らはこれを聖ホセマリアの祈りのおかげと考えました。

こうして1937年の春、ホアンとアルバロが聖ホセマリアの避難所に合流しました。それはホンジュラスの公使館でした。

尾崎明夫