聖ホセマリアの生涯-28

1936年10月1日、オプス・デイ創立記念日前日、迫害の最中、ホセマリア・エスクリバーは自身の強さや勇気は全て神からの借り物であることを悟ります。

アルバロ・デル・ポルティーリョ(1937年)

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8月上旬に母の家を脱出してから放浪を続けていた聖ホセマリアは、9月上旬アルバロが一人の兄弟と一緒に避難していた家に入りました。10月1日となった。翌日はオプス・デイ創立記念です。神父は大きな祝日に神から少し特別の恵みを受けることがよくあったので、明日何がもらえるだろうかと考えていました。するとアルバロの別の兄弟が血相を変えて現れました。この家の主人の家族も捕まり6人が殺された。一人は司祭だった。捜索が近づいている。すぐに逃げるように、と。聖ホセマリアが家を出ようとすると、急に強い恐怖にとらわれ膝ががくがくと震えました。このとき神父は気がついたのです。一日早いが、これが神様の特別の恵みだ。自分の強さや勇気はすべて借り物であることをはっきり教えて下さったのだ、と。

内戦の始まるかなり以前から、スペインの大都市には聖職者に対する憎しみが広がっていました。そんな町を司祭服で歩き回ることは危険でした。聖ホセマリアも何度も侮辱的な言葉や石やボールを投げつけられたことがありました。しかし、彼は平気でその中をくぐり抜けては病院を訪問し幅広い司牧活動を行いました。また内戦が始まり死の危険が身近に迫ったときも、殉教することに喜びを感じていました。しかし、それらの勇気は自分に備わった資質ではなく、なによりも神からの賜だったのだ、神が助けて下さらなければ自分は臆病な弱い人間に過ぎない、と痛感させられたのです。この後、ある知り合いが家に入れてくれましたが、そこにいた老婆が突然「神父がいる。みんな殺される」と叫び始め、その家も去らねばならなかったのです。

戦争開始以来、神父の最大の心配は若いメンバーや家族、友人たちの消息でした。10月末にマドリードに国民軍が迫ってきました。革命政府はこの危機を前にして、町に多くの敵が隠れていると疑い、これまで以上に逮捕と処刑に躍起になりました。11月、ホアン・ヒメネス・バルガス、アルバロとホセ・マリア・エルナンデス・デ・ガルニカの三人のメンバーが次々と逮捕されました。

尾崎明夫