聖ホセマリアの生涯-27

スペイン内戦が始まると、革命グループはマドリードにあったいくつかの兵舎に武器を渡すよう要求しました。この要求に屈しなかった兵舎が、聖ホセマリアがいた新しい学生寮の真向かいにありました。

ホアン・ヒメネス・バルガス。当時医学生だった。

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スペイン内戦が始まると、革命グループはマドリードにあったいくつかの兵舎に武器を渡すよう要求しました。この要求に屈しなかった兵舎が、聖ホセマリアがいた新しい学生寮の真向かいにありました。7月20日朝、革命派が攻撃を始め、激しい戦闘となり寮にも銃弾が飛んできました。兵舎は昼前に陥落。破壊された壁の間から死体が見えました。武器を奪って勝ち誇った革命派の民兵が街路に溢れているなかを、作業服に着替えた聖ホセマリアはイシドロと一人の学生とともに母の家に歩いて行きました。この際、神父は聖職者の印である剃髪を残したまま歩いたのですが、不思議なことに誰もそれに気づきませんでした。

町では恐ろしい司祭と修道者狩りが始まりました。母の家の下の家には共産党員の女中がおり、上の階に司祭がいることに気づいているようでした。8月8日、アパートの門番が「手入れが始まる」と知らせてきました。聖ホセマリアは間一髪で脱出しましたが、これが1年3ヶ月続くこととなる放浪の旅の始まりでした。

神父はメンバーや友人の協力であちこちに隠れ家を探しました。司祭をかくまっていることがわかれば銃殺されることは間違いないので、門前払いもしばしばでした。ある友人の家にいたとき、捜索隊がやってきました。打ち合わせ通り、高齢の女中がドアに行き聞こえないふりをして民兵と押し問答をしているうちに、神父は二人の人とともに屋根裏部屋に隠れました。一人はホアン・ヒメネス・バルガスというメンバーでしたが、もう一人は知り合いではありませんでした。狭く暑苦しい部屋に息を潜めている中で、神父は彼に自分の身分を明かし「私たちは極めて危険な状況にある。私は司祭です。もし望むなら、赦しを与えます」と告げました。二人は赦しを受けました。後に彼は「あのとき司祭の身分を明かすのは非常に勇気がいることでした。見つかったなら、私が裏切って神父を売る可能性だってあったのです」と証言しています。幸い捜索隊は帰って行きました。

この後も隠れ家を探す苦しい旅は続き、9月初旬にアルバロが身を寄せていた家に到着します。ここでしばらく過ごしオプス・デイの創立記念日を迎えるのですが、その前日に聖ホセマリアは興味深い体験をしました。

尾崎明夫