聖ホセマリアの生涯-26

スペイン内戦の間に共和政府側で殺害された聖職者の数は7千以上と言われます。ホセマリア・エスクリバーがいたマドリードは共和政府側にありました。町では絶えず警察と民兵が見回りをし、しらみつぶしに反政府の人間や司祭・修道者の捜索をします。

内戦中の聖ホセマリアの顔写真

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1936年7月から39年3月まで続くスペイン内戦は、第二次世界大戦の前哨戦と言われますが、同国人の間で争われた悲惨きわまる戦争でした。また同時にカトリック教会が経験した数ある迫害の中でも最もひどいものの一つでもありました。1936年2月に成立した共和政府に対する軍の一部の反乱によって始まるのですが、早い時期に共産主義や無政府主義の左翼勢力が共和政府の政権を握りました。そうしてキリスト教を根絶やしにする政策を実行し始めたのです。スペイン内戦の間に共和政府側で殺害された聖職者の数は7千以上と言われます。また信仰を表した一般信徒の他、共産主義の敵とされた会社の経営者や資産家なども数多く処刑されました。

聖ホセマリアがいたマドリードは共和政府側になりました。町では絶えず警察と民兵が見回りをし、しらみつぶしに反政府の人間や司祭・修道者の捜索をするようになりました。この恐怖政治の中で、神父は神に信頼し、友人たちの助けを受けて、どこにいるかわからない密告者に注意しながら隠れ場を探すことを余儀なくされました。神父はそれまで行っていた幅広い活動によって、顔をよく知られていました。しかし、不思議なことに食糧不足のためか、逃亡生活の間にどんどんやせていったので、9ヶ月後後に会った母親でさえ誰か気づかなかったくらいでした。

命の危険は神父に従っていた人たちも同じでした。聖書やロザリオなどを持っていたり、司祭を助けたりしたことがわかれば、逮捕され、収容所に送られ、銃殺される危険が十分にあったのです。

このような状況で、隠れながらミサを捧げ、聖体を運び、信者の世話をするといった司祭の仕事を続けた英雄的な司祭が沢山いました。聖ホセマリアもその一人です。これから数回にわたって、この苦難の歴史を紹介したいと思います。

尾崎明夫