聖ホセマリアの生涯-24

1935年、学生寮の運営は軌道に乗り始めます。ホセマリア・エスクリバーは、喜びと平和の雰囲気を保つため、寮内での政治討論を禁じます。

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1935年の夏、聖ホセマリアは過労で倒れる寸前でした。ある友人が自分の田舎の別荘で休むよう勧めてくれましたが、新しくメンバーになったアルバロたちにオプス・デイの精神を教えるためや他の仕事のため、暑いマドリードに留まり続けました。9月になって参加した黙想会の二日目のメモに「昨晩私は綿にように疲れていた。夜11時からなんと朝6時半まで寝た。・・食事の一部を吐いた。まったくやる気がない。・・路上でも横になって二週間も寝続けるだろう」とあります。一年以上、7時間続けて寝ることができなかったのです。

新学年に備えて、各地の有名な高等学校に手紙を送るとともに、全国紙に学生寮の宣伝を載せました。その甲斐あってか沢山の申し込みが来ました。神父は残っていた家族の遺産をもらって隣の家を借り、24名の寮生を入れることができました。前年度の失敗の反省から使用人を少なくしたため、部屋の掃除やベッドメーキング、皿洗いやテーブルの準備などの仕事を、昼の間に神父と寮長がすることになりました。

大勢の学生が寮で勉強したり神父から霊的な指導を受けたりするために来始めました。この頃に神父と知り合った学生ホセ・ルイス・ムスキス(後にアルバロとホセ・マリア・フェルナンデスとともに司祭になる)はこう言われたそうです。「ここでは政治的意見は尋ねられません。・・・その代わりにもっと嫌な質問をされるでしょう。祈りをしているか。時間を活用しているか。親を喜ばせているか。勉強しているか、など。勉強は学生にとって重大な務めだから」と。

神父は学生たちに寮での政治討論を禁じました。政治や社会の問題には大いに関心を払うべきですが、政治については各自が自由に考え意見を述べる権利があり、その意見によって差別や対立が生まれないようするためです。教会が政府によって不当に迫害されていた当時、政治の動向は熱い議論の対象でした。そのような中で、寮には「喜びと平和、落ち着いた雰囲気があり、別世界のようだった」とある学生は言っています。

尾崎明夫