聖ホセマリアの生涯-21

貧しい生活に苦しんでいたエスクリバー家に相続財産が入ってきました。しかし、ホセマリアはそれを神からの使命のために使わせほしいと頼みます。

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聖ホセマリアの仕事の一つは聖イサベル修道院のシスターたちの霊的な世話でした。ある日、ミサの中でご聖体を配っているとき、心の中で「神様、私はこの人たちよりあなたを愛します」と言いましたが、そのとき「行いが愛であって、甘い言葉が愛ではない」という声を心で聞きました。これは『道』の933番に載っている逸話です。

オプス・デイのために働くことができる青年に堅固な養成を与えるため適切な場所を探していましたが、とうとう1933年の年末、アパートの一角に家を借りて「法律と建築」と名付けた予備校を立ち上げました。そこでは法律と建築の授業をする他に、講演会などの文化的活動や宗教的な教育活動が行われました。しかし、もともとこの場所も小さなもので、すぐに手狭になりました。ホセマリア神父は再び大胆な計画を考えるようになりました。ヨーロッパの町では多くの人はアパートに住んでいます。アパートの中の複数の家や階を買い取り、工事をしてそれらを繋いで一つにすることも可能です。このようにして予備校と学生寮を一緒にした施設を作ろうと考えたのでした。しかし、もちろんそれにはかなりの額のお金が必要です。

ちょうどこのころ神父の父方のおじさんが亡くなりました。その方は司祭で子供がなかったので、相続財産がホセマリア一家にも入ってきました。しかし、それは家族みんなの財産です。神父は深く考えた末、この学生寮建設のためにこの財産を使わせて欲しいと家族に頼むことにしました。しかし、そのためには家族にその理由を話さねばなりません。

家族は父親が破産してから故郷のバルバストロを去り、ログローニョ(ここで父が亡くなる)、サラゴサ、マドリードと引っ越しを繰り返してきました。その間、つねに貧しさに苦しみ、マドリードに来てからは経済問題は深刻の度を増していました。母と姉は、大黒柱のホセマリアが収入の多い仕事を探すことなく、青年の指導や病人や貧しい人たちの世話に一生懸命なのを見て、不思議に思っていました。「なぜ私たちはマドリードにいるのでしょう。こんなに苦しい生活は初めてです」と母は時にはホセマリアに抗議しました。しかし、息子の口から納得のいく答えは出てきませんでした。

ついに、その秘密を明かすときが来ました。母と姉と弟にオプス・デイという使命を神から与えられたことを告げ、そのために遺産を使わして欲しいと頼んだのです。

尾崎明夫