聖ホセマリアの生涯-20

ホセマリア・エスクリバーの家族は、神父からオプス・デイというプロジェクトを知らされないまま、貧しさを我慢しながらホセマリアの活動を献身的にサポートします。

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最初から聖ホセマリアはオプス・デイを理解できる人を探し、見つければ適切な養成を与えようとしました。しかし、すでに見たように、有望と思われた人は早世したり、その他の人は去って行ったりしました。このように最初に苦労するのは、教会の中で何か新しいことを始める人がよく経験することです。

聖人たちはこれらの困難にひるむことはありません。ただ、改善すべき所は改善しようとします。聖ホセマリアが悩んだ一つの問題は、人を集めて落ち着いて養成を与えることのできる場所がないことでした。喫茶店や公園や誰かの家で集まりを持っていましたが、それではなかなか思うようにはできません。そこで、専門学校か塾のようなものを作ろうというアイデアが浮かびました。しかし、急にはできない計画です。とりあえず、もう少し広い家に引っ越すことにしました。最初に住んでいた家は非常に窮屈だったからです。

ローンを組んでなんとか少し広い家に引っ越しました。この新しい家で、師は指導を受けている若者を集めて、講話をしたり個人的な話をしたりし、また家族団らんの中でいろんな話をしました。この活動を助けたのが、師の母親と姉でした。ドローレス夫人も姉のカルメンも、なぜ弟神父が安定した仕事を探すこともなしに、若い人を集めてこのようなことをするのか分かりませんでした。しかし、いやな顔をせず、神父に協力しました。若者たちを親切に迎え、時々はおやつを作ってもてなしました。こうしてオプス・デイの特徴である家族の雰囲気という伝統を作り上げるのに計り知れない貢献をしたのです。

彼女たちの振る舞い方が、上品で優しいものであったので、若者たちはその裏にどれほどの犠牲があったかには全く気づきませんでした。あるとき、まだ中学生くらいだった神父の弟サンチアゴが「ホセマリアの子供たちは全部食べちゃうよ」と口を滑らしたそうです。

聖ホセマリアは、母と姉にその理由を説明しないまま、自分の仕事に巻き込んでも良いのかと考え悩んでいました。彼女たちに貧しい生活をさせている上、普通の生活なら当然の家族の親密さと静けさまで奪う権利はあるのか、と。この問題をこれ以上先延ばしにはできませんでした。まもなく、この問題をはっきりと解決しないといけない時がきます。

尾崎明夫