聖ホセマリアの生涯-16

ホセマリア・エスクリバーは病人援護会の仕事を辞めたあとも病人への奉仕を続けます。

ホセマリア・エスクリバー

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1931年秋、聖ホセマリアは病人援護会の仕事を辞めます。これによって定期的に病人とふれあうことがなくなるのですが、新しい職場の聖イサベル修道院で病人訪問を目的とする信徒の会を知りました。それは全員で10数人の小さな会で毎週日曜日の午後、県立病院に出かけて病人に奉仕(病人の中にキリストを見ながら、ベッドを整え、体を洗い、髭を剃り、髪の毛や爪を切る、必要なら汚れた容器を洗うなど)をしていました。神父は喜んで彼らを手伝うことにしました。当時世間に広がっていたカトリックに対する憎しみは病院にまで浸透していて、この活動には危険が付きまといました。

この困難な活動に、神父は自分が霊的に指導している青年たちを連れて行きました。彼らはそういう仕事には不慣れな人たちで、訪問を終わって帰途につくとき、悪臭やおぞましい傷や膿を思い出して、外に出るや嘔吐する者もいました。

その青年の一人にルイス・ゴルドンという裕福で前途有望な若者がいました。ある日曜日、聖ホセマリアは結核患者の面倒を見ながら、ルイスに痰つぼを洗うように頼みます。彼はその壺を見て一瞬顔を曇らせましたが、黙って洗面所に行きました。神父は彼を助けようと思い後を追いました。洗面所に入ると、ルイスは容器に水を入れシャツを肘のところまでまくり、手を容器に突っ込んで洗いながら「イエス様、微笑むことができますように」とつぶやいていたのです。このエピソードは『道』626に残されています。

マドリッド郊外に王立病院という感染病患者のための病院がありました。そこに指導司祭をしていたのがホセ・マリア・ソモアノという神父で、彼は聖ホセマリア神父からオプス・デイについて聞くとすぐにその本質を理解し、全面的に協力するようになりました。世話をしていた多くの病人にその苦しみをある意向のために捧げるよう頼むと、みな喜んでそうするようになっていきました。

聖ホセマリアはこの他にも複数の病院を訪れるようになりました。当時は不治の病であった結核患者とも頻繁に接触していました。それを控えるように忠告されると「私はあらゆる病気に対して免疫があります」と微笑みながら答えていたそうです。多くの病人の臨終に立ち会ったために、遺体を屍衣で包むという作業に熟達するようになりました。こうして聖ホセマリアは再び苦しむ病人たちの中に入り込んだのでした。