聖ホセマリアの生涯-15

1931年、社会的・経済的・宗教的困難の最中、神はホセマリア・エスクリバーが「神の子としての自覚」を生き、その意味を肌感覚で悟るよう導きます。

ホセマリア・エスクリバー

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聖ホセマリアがオプス・デイを始めた頃のスペインには過激な反カトリックの空気が広がっていました。司祭や修道者の服装で町を歩くのは危険なほどでした。1931年に生まれた新政府は次々と教会を圧迫する法律を作っていきます。また、神父にはお金がなく家族を支えることもままなりませんでした。肝心のオプス・デイはなかなか発展しません。

このような困難の最中にいた聖ホセマリアを、神様は特別な仕方で助けられました。それは神父の頭に思いも寄らないアイデアを吹き込むことでした。こうしてオプス・デイの霊的生活に大切なことを学んで行ったのです。

その中で最も重要なことは、神の子の自覚です。人は洗礼によって神の子(養子)になるというのはカトリックの教えですから、もちろん聖ホセマリアもよく知っていて、しばしばこの真理を黙想していました。しかし、1931年には何度か神様はこの真理を頭に刻みつけるような経験をさせました。神父自身がこう語っています。「市電に乗っていたとき、主はなにか抵抗できないような力で、私の心と唇に『アッバ(ヘブライ語で父という意味)、父よ』という祈りをわき上がらせた。(それは市電を降りてからも続き)私を見た人は狂人だと思ったはずです」。これ以降、オプス・デイにおいて、信仰生活の基礎は神の子であることの自覚であると理解するようになりました。

「霊的幼児の道」という考えもこの頃はっきりと現れました。この考えも、イエスが繰り返し「幼子のようにならなければ天の国に入れない」(マタイ18、4)と言われており、カトリックの伝統に属するものです。ただ、聖ホセマリアは1931年から翌年にかけて、この真理の意味を肌で感じさせられたようです。1931年の12月、ミサの後、一気に『聖なるロザリオ』という本を書き上げました。その冒頭にこう書いています。「友よ、偉大な者になりたいなら、まず小さくなりなさい。小さくなるには、子どものように信じ、子どものように愛し、・・そして子どものように祈らなければなりません」。

ただし、「霊的幼児の道は・・慎重でたくましい人の道である」(『道』855)。神の前では小さな幼児であっても、人間社会の中では強く賢く振る舞わねばなりません。聖ホセマリアには高く険しい道が準備されていました。この困難を克服できるよう、神は親が子どもの手を引いて行くように師を導いて行かれました。