聖ホセマリアの生涯-14

託された神からの使命遂行に献身するため、ホセマリア・エスクリバーは病人援護会での仕事を辞めます。このことにより師とその家族は経済的苦境に立たされます。

ホセマリア・エスクリバー

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聖ホセマリアは1927年6月から病人援護会の指導司祭の仕事をしていました。ところが、1928年10月に神の計画を知り、それ以来オプス・デイ創立の仕事が始まりました。援護会の膨大な仕事は大きな負担となります。1931年頃聖ホセマリアはこの神の計画の実現のために神が病人援護会の仕事を辞めるよう求めておられると感じました。しかし、これには二つの不都合がありました。一つはわずかであるにしても収入源を失うこと。もう一つはマドリード司教区に居るための資格を失うことでした。ただ、本当に辛かったのは4年間心を込めて働いた仕事から手を引くことでした。子どもたちや病人や貧しい人々に深い愛情を抱くようになっていたのです。

1931年10月、完全に病人援護会から離れました。そのとき、指導司祭を失い困っていた女子修道院のことを知り、その後任を引き受けることになりました。これはただ苦しむ人を見過ごせない優しい心のためでした。この仕事には報酬がなかったのです。

こうして家族の経済的問題がさらに悪化することになります。後に神父の母ドローレス夫人は「マドリッドは私たちにとって煉獄でした」と言ったそうです。母は息子が断食などの苦行をしていることにも気づいていました。父の会社の破産以来ずっと続いている貧しい生活に雄々しく耐えてきたお母さんもいらいらすることもありました。ある日、「こんな生活をこれ以上続けることができません」と言い、神父がおやつを食べないでいるのを見て「そんなことをしているから、頭が空っぽになるのよ」と叱りました。もっとも母はこういうときもすぐに落ち着きを取り戻すのですが。

聖ホセマリアは自分の苦しみは喜んで耐えていましたが、家族が苦しむのを見るのは別でした。神父は神に家族の苦しみを取り除くよう頼んでいましたが、経済状態は悪化の一途をたどり、とうとう銀行から金を借りるまでになりました。でも神様は別の仕方で神父の祈りを聞き入れて下さいました。家族全員が貧しさの中に喜びを感じて生きるようになったのです。

息子の秘密を知らないお母さんは彼のため安定した収入のある教会内の仕事を探していました。しかし、ホセマリアは神の使命を優先してそれを断ります。家族の経済的問題はまだ数年続くことになりました。