聖ホセマリアの生涯-13

人間的手段のないホセマリア・エスクリバーは、神から託された生まれたばかりの使徒職的事業を前進させるために、病人や貧しい人に助けを求めます。

聖ホセマリア

過去の記事はこちらから

1928年10月2日、聖ホセマリアが神から受けた使命は、教会の中に「洗礼を受けた人は誰でも聖性に呼ばれている」という教えを広めることでした。これは今でこそ教会の中で公に認められていますが、当時は新奇な教えで、ひどい無理解が待っていました。また、この時期のスペイン社会には暴力的な反カトリックの雰囲気が広まっていました。

他方、ホセマリア神父の実情を見ると、この上ない貧しさの中にいました。自分の家族に余裕のある生活をさせることさえままなりません。身分的には「サラゴサ教区の司祭」のため、定期的にマドリード教区に滞在延長の許可を申請せねばなりませんでした。

このような様々な困難に対面しながら、聖ホセマリアは何を頼ったのでしょうか。人間の事業ならまず資金を集め、コネや有能な人材を探すなどの方策を立てねばなりませんが、神の事業の場合、なによりも神の助けが不可欠です。そこで、彼はまず祈り、そして償いを重視しました。『道』の82番に「第一に祈り、次に償い。三番目、実に三番目に活動がくる」と書いている通りです。

自ら祈り、償いをするだけでなく、多くの人に祈りと償いを頼みました。なかでも病人や貧しい人々の苦しみを神に捧げるようにも頼みました。聖ホセマリアは、罪のない人の苦しみは神のみ前で大きな価値があると確信していました。またキリスト教は、苦しむ人の中にイエスキリストがいると信じます。

死の一年前、当時を思い出しながらこう話しています。「私は26歳の若さと、神の恩恵と朗らかな心のほかに何も持っていませんでした。そこでオプス・デイをするために、病院に行きました。病院には不治の病である結核患者をはじめ様々な病気の人で溢れていました。この病人たちこそ神の助けを得るための宝だったのです。・・私は病人たちに頼みました。苦しみを、ベッドに付している時間を、孤独を、私の霊的な事業のために主に捧げてください、と。・・その結果、今ではオプス・デイは世界中に広がるようになりました」と。

師は1931年秋、聖ホセマリアは後ろ髪をひかれる思いで病人援護会の仕事を辞めます。オプス・デイ設立の仕事のために時間の余裕がなくなったからです。しかし、病人や貧しい人々との接触は別の形で続きました。