7月25日、東京の富士見アカデミーで映画監督の松本准平さんの講演会が開かれました。松本さんは1984年、長崎県に生まれ、幼児洗礼を受けました(霊名はコルベ)。精道三川台中学校への在学がきっかけでオプス・デイを知るようになります。映画監督としては、27歳ではじめての自主映画を作り、29歳で商業映画にデビュー、太平洋戦争終結80年にあたる今年、6作目の「長崎─閃光の影で─」を公開、監督自身も被爆三世です。
参加者からの質問に答える形で、映画監督になった経緯、映画製作への思いなどを語っています。

Q:この映画を作った動機、きっかけのようなものをお聞かせください。また、被爆者であるおじいさまの影響についても、お願いします。
松本:そうですね。 僕の祖父はカトリック信者ではなかったのですが、被爆者でした。 僕は長崎の教会に通ってですね、幼いながらにイエスの教え、愛の教えですよね、互いに愛し合いなさいという教えを聞きながら成長し、そのように生きたいと思ってはいるんですけど、一歩外に出ると被爆地であり、被爆中心地のある世界で育ったので、その現実の矛盾というか、ギャップはいつも認識していました。その乖離が自分の創作意欲をかきたてていると思います。イエスの教えを聞いていようが聞いていまいが、愛し、愛し合いたいという純粋な感情は、どの人間にもあると思うのです。しかし、それとは全く違う現実を生み出してしまっている世界で生きている。そういう人間のありさまをのぞきたいという気持ちは常にあると思います。それが創作の意欲の原動力というか、関心のすごく強い一つになってると思います。
もちろん長崎の被爆三世としてもそうですけど、カトリック信者としても、この長崎原爆のことを題材にして、映画を作ってみたいというふうには思ってました。
本当にいつか、原爆の映画を作りたいというふうに思っていたのですが、実際撮ったのは2年前の38歳か39歳ぐらいの時でした。もうちょっと後になって撮るかなと思っていたのですけど、結構早いタイミングでチャンスが来たので、重圧は感じつつも、まず撮れることが本当に嬉しいことでした。
これまでもキリスト教的な題材を自分なりの仕方で扱ってはきていますけれども、直接的に扱うというのは、日本の映画マーケットでは結構難しいことでもあるのですが、ただ、今回の映画では、もう扱わざるを得ないというか、絶対扱えると思いました。カトリックの方を主人公のひとりにできるというのは、嬉しいことではありました。
Q:松本さんの経歴を拝見しますと、東京大学の建築学科で学び、そのあとで監督になるという大転換ですが、監督になりたいという夢は小さい時からありましたか?
松本:いや、全然ないですね。大学は東大の建築学科に入学したんですが、最初はお笑い芸人になりたかったんです。どこかのインタビューでも言ってるんですけど、最初はお笑い芸人を目指していました。それで、大学在学中に吉本興業の学校に通ったのですが、それはちょっとうまくいかなかったですね。まあ、あの時うまくいってたら今ここにはいないんですけど。
東大では、3年生になる前に進振り(進学選択)と呼ばれる学部・学科を決める制度があるのですが、クリエイティブなことをやりたいというふうに思っていたので、建築学科に入りました。それはそれで楽しいなと思いながら、他方では夢をちゃんと実現したいと思っていたので、4年生ぐらいの時に吉本の学校に入ったんですが、1年ぐらいで挫折して、そのあとは大学院に進みました。
その当時はアフガニスタン戦争の時と重なるのですが、今、朝日新聞の記者をやっている友達から、社会的なメッセージが強い映画を作りたいので、自主映画で監督をやってほしいというオファーがありました。NPO法人の仲間になって、クリエイティブな部分を責任者としてやるっていうところで、自主映画ですけど、初めて映画監督をやりました。その映画は杉並区の成人式で公開したりしたんですけど、その時ですね、芸人よりは映画監督のほうがなんか僕もやれるかもしれないというふうに思ったのは。そこから自分なりに自主映画作りを始めたっていうのが、まあ、映画にいく道だったのです。
Q:監督はご自分の映画は常に信仰と関わっているということをおっしゃってますが、それは何か特別にカトリック信仰を映画の前面に打ち出さなくても、深いところでご自分の信仰心と関わっているというようなことでしょうか?
松本:信仰をどこまで強く出せてるかというのは、ちょっとまだわからない部分がありますけど、自分自身が信仰生活を生きていて、その信仰生活における悩みだったり、葛藤だったり、自分の惨めさだったり、もちろん喜びもあるわけです。そういうものから成る自分が映画を作ろうとすれば、自分の生き方を反映させざるを得ないという思いはあります。登場人物だったり、題材と結びつけないと、よい映画ができない、本物の仕事ができないっていう、そういう感覚があります。
僕自身にとっても、やはり神様との関係は一番それが大きな、一個人として、一番大きなテーマなので、それが映画に入っていない映画だとやる気が出ないという部分はあります。なので、信仰を持っていない登場人物がほとんどですけど、持っていようともいまいとも、彼らが超越的な何かと結びつく瞬間みたいなものを見つけ出すようにするという意味で、自分の信仰生活そのものが、自分の映画にはかなり如実に出てきてるんじゃないかと自分自身では思っています。
Q:映画の資金作りはどうですか?いい映画を作りたいと思っても、資金面で難しいことも多いと思うのですが。
松本:そうですね。映画を作るときは、お金集めにも関わるようにしてるんですけど、やっぱり難しいですね。どういうふうに資金を作るかは、いつも課題としてあります。ただ、自分のテーマでないものをあえて作って、お金集めにしようというふうには全く思わないんです。自分が描きたいものを捨ててしまうとか無視してしまって、成功したい、映画でヒット作を作りたいとは思いません。
Q:次に撮りたい映画はありますか?
松本:もちろんあります。 それはいくつか計画をしています。 僕が今一番とてもやりたいというふうに思っているのは、中絶のテーマですね。決まってきている部分はあるんですけれども、まだお金が集まっていないので。
Q:ところで、松本さんもよくご存じの聖ホセマリアの教え「仕事の聖化」は、ご自身の専門職である映画作りにどのような影響を与えていますか。
松本:自分の信仰生活の中で、葛藤したり悩んだり気づいたり、あるいは満たされたりするような体験や心の動き、あるいは出来るならば存在全体を、映画という創作物に近づけて、注入していくということでしょうか。最終的には自分からというよりは、映画の方が自分を捉えて引っ張っていってくれるような感覚になるんですけど。そのようにしながら、その映画も、自分のこの人生も主に捧げたいというふうに思っている。でも、僕自身もちろんまだ初歩的な未熟者でしかないので、日々そういった形で、続けていくしかないかなというふうに思っています。
Q:映画作りは一個人の仕事ではなく、チームワークというか、様々な職種の方々が一緒になってひとつの映画を作っていくというところに醍醐味もあると思うのですが、ご自身の信仰を色々な形で伝えるという使徒職はどうですか。
松本:そうですね。特にカトリックのものとか扱うと、スタッフは何も知らないのが現状です。今回も教会でのシーンとかありましたが、本当に全く知らないので、ここに納められているのはご聖体というイエス・キリストの体なんですよ、と説明したりしました。もちろん難しさはあるんですけども、監督が監督の立場として、真摯にちゃんと答えれば、新しい知識として伝わりますから。
今はちょうど映画の宣伝活動をしてますので、宣伝のスタッフだったり、あるいは取材をしてくださる方々にも、僕はカトリック信者なのでこうなんですっていう話をする機会も多く、とてもきちんと受け止めてくださり、掘り下げてくださる方もいます。こういった形で使徒職の機会になっていけばいいなと思いますね。
俳優さんもおなじですね。今回の映画でカトリック信者の役をやる人には、皆さんにロザリオをプレゼントして、必ずミサに行ってくれと言いました。ミサに行ったことがなくて、この役をやろうとしても無理だから、必ずミサには行ってくださいと。だいたい東京だと四谷のイグナチオ教会が一番行きやすいですから、イグナチオ教会に案内するようなことはやっています。
Q: 最後に、主題歌の「クスノキ」について一言。
松本:「クスノキ」という楽曲は、山王神社の被爆クスノキを題材にして被爆樹木の視点から作られた曲で、僕は昔から好きだったので、その曲を映画で使わせてくださいと作者の福山雅治さんにお願いしたら、自分が歌うのではなくて、主人公の3人に歌ってもらうのがいいんじゃないかっていうふうに、逆に提案をいただいて、そういった形になっています。
なお「長崎─閃光の影で─」は、来る10月31日にバチカンで上映されることになっています。

