新谷光アルベルト(しんたに・ひかる)神父はブラジル・サンパウロ市で生まれ育った日系三世。祖父母は広島と北海道からブラジルに移住し、そこでキリスト教に出会った。高校卒業後に留学のため来日し、12年間日本に住んだ。神戸大学文学部で日本史を学んだ後、京都大学大学院で歴史を研究、日本学術振興会の研究員であった。同時に関西地方の青少年向けのオプス・デイの活動に携わった。その後、イタリアに移り、ローマの教皇庁立聖十字架大学で神学を学ぶ。2023年11月助祭叙階、来る5月25日に他の28名のオプス・デイの信者と共に司祭叙階を受けた。
・幼児洗礼者として、カトリック信仰は人生においてどのような位置を占めましたか?
父母両側の祖父母が日本からブラジルに移住した頃、彼らはカトリック信者ではなかったのですが、現地の雰囲気に包まれてキリスト教に近づいていきました。祖母の妹2人が受洗し、マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスターになったことがきっかけに、家族全員が少しずつカトリック信者になっていきました。
オプス・デイとの関係に関しては、聖ホセマリアが晩年にブラジルを訪問した1974年に、当時大学生だった父がオプス・デイに出会い、聖ホセマリアの力強い教えに動かされてメンバーになりました。母は結婚してからスーパーヌメラリになりました。そのため、私は幼い頃からオプス・デイのボーイズ・クラブに通っており、高校生の頃にヌメラリになることを決めました。
・聖ホセマリアは、召命の90%は両親のおかげだと教えていました。新谷助祭は7人兄弟の5番目だそうですが、このことについてどう思いますか?
歳を取るにつれて、本当にその通りだと実感します。というのは自分の場合は、物心がつく前から簡単な信心のわざを家庭で自然に身につけていったからです。家族でのロザリオや寝る前のお祈りをすることからはじまり、大きくなると一人でいても、街を歩いている時に教会に入って聖体訪問をしたり、日曜日以外にもごミサに与ったりするようになりました。それは信仰の自然な成熟プロセスだった気がします。
もちろん思春期の頃に自分の人生において信仰はどのような意味があるのかなどの迷いもありましたが、心が揺らぐ時にこそ家庭で教わったことによく目を向けました。そこを振り返ればいつも信仰が何らかの形でありました。
例えば、幼い頃の私の役割の一つは、リビングルームの聖母像のために近くの花屋さんで毎週新鮮な花を買ってくることでした(普段は母の好みの赤バラをわざと選んで、そうする一石二鳥!〈両方のお母さん〉に喜んでもらおう、と。笑)。あるいは、成人洗礼の祖母はそれほどキリスト教的な形成を受けていなかったのですが、晩年に日本語の新約聖書をいつも手に持って暇な時に読んでいたことをよく覚えています。家庭のそのような純粋なキリスト教的な習慣が子供たちの記憶に焼きついて心のどこかに残り、遅かれ早かれ召命の形で咲くのだろうと思います。
・どうして「司祭」という道を選んだのですか?
今さら「カトリック司祭」になるなんて意味があるのか、と聞かれたことがあります。確かに、「宗教」というのは今のライフスタイルに合わず古臭いものというか、もはや必要ないと思う人は少なからずいるでしょう。日本でも、宗教に対するそういう先入観が若干ある気がします。
でも、先日の「2025年聖年」に向けての大勅書発表の際に教皇フランシスコが仰ったように、現代社会の様々な問題を一言でまとめるとすれば、それはまさに「希望不足」です。ポジティブな言い方をすれば、「希望」こそ充足感に繋がるカギになると思います。だとすれば、人間のあり方や人生の意義について社会に考えさせるリマインダーの一つはまさしく「宗教」なのではないかと思います。
つまり、「司祭職」が単なる職業だとすれば確かに意味がない時代遅れの選択肢かもしれません...。けれど、人生には目に見えるものを遥かに超越する素晴らしい側面がある、しかもそれを手に入れられる可能性があるというリアルな希望を放つ存在としての「司祭」が必要だと思いますし、またそのような存在でありたいと強く夢見ています。
・日本での福音宣教をどう思いますか?
私は以前、京都や芦屋でのオプス・デイの活動を手伝い、芦屋市にあるセイドー文化センターという学生寮の寮長も数年間務めました。そこで、宗教を問わず、若者が共に勉強したり遊んだりして楽しく過ごすことにより、彼らが互いに学び合い、その中で、自然な形でキリスト教に触れていくのを目にしました。また、その学生たちと一緒に、東北やフィリピン、インドネシアやブラジルなどでの社会福祉ボランティア活動を何回か企画し実行しましたが、そのような活動を通して、彼らは「生きたキリスト教」を目の当たりにし、実際に味わいました。このような経験があれば、誰でも福音に惚れていくのではないでしょうか。ネットやゲームより、人と共に、人のために生きるリアル・ライフの方がずっと楽しくて充実感があるんだ、と。
私のこのような限られた経験から言うと、今日の福音宣教において、そのような学生寮や文化センター、小教区や青年会のような環境が核となって、ダイナミックな素晴らしい福音宣教ができると信じています。聖ホセマリアの言葉を借りて言えば「平和と喜びの種蒔き人」を養成する以上に素晴らしい福音宣教はないでしょう。たとえその人数が少なくても。
・最後に一言...
今、私は神学の博士論文を執筆中ですが、分野は教会史で、日本とバチカンとの外交関係樹立史がテーマです。夏休みまでに仕上げることができればと思います。その後、司牧経験を積むためにしばらくスペインとブラジルに行くことになりました。近いうちに日本に戻ることができればと思いますが、今までの私の人生の半分以上は母国ブラジル以外で過ごしてきたので、先のことはどうなるのでしょう...。
10年近く前の春、当時のオプス・デイ属人区長エチェバリア司教にお会いした時、「あなたと私が神様の御旨に素直かつ忠実であれば、あなたは日本での使徒職の〈満開〉を自分の目で見ると私は確信しています」と仰ってくださいました。7年前に帰天されたエチェバリア司教は確かにそのお言葉をお守りになったのですが、私も他の28名の受階者も同じく召命に忠実であるようにお祈りいただければと思います。