聖ホセマリアの生涯-79

1970年メキシコでの滞在中、聖ホセマリアは気分が悪くなり横になったときその部屋に飾ってあったグアダルーペの聖母の絵を見ながら、「私はこのマリア様を見ながら死にたい」と漏らしていました。

聖ホセマリアの遺体の前で祈る福者アルバロ

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5月31日スペインからローマに帰った聖ホセマリアは、普段の仕事の生活に戻りました。当時神父が手掛けていた大きな仕事には、トレシウダッドの聖堂の他にローマ近郊にローマ学院の新しい建物の完成がありました。それは、本部から車で20分くらいのカバビアンカという場所にあります。6月にも何度か工事の様子を見るために足を運び、そこで勉強しながら働いている学院の生徒たちとも話をしていました。このように平和な日々が過ぎていっていました。欧米では学年は6月で終わります。聖ホセマリアもローマを離れる予定でした。その前に女子部のローマ学院の生徒たちに会いたいと思っていました。

1975年6月26日、朝ミサを立て朝食をすませると、神父はドン・アルバロとドン・ハビエルとともに自動車に乗り、ローマの夏の暑さの中、女子部のローマ学院のある郊外に向かいました。車に乗るとみんなでロサリオを唱え、それが終わると午後の予定について話していました。目的地に着くと学院の生徒たちと団らんを持ちましたが、途中で気分が悪くなります。別室で少し休みましたが、よくなりそうにないので帰ることにしました。車を飛ばして本部には12時前に着きました。いつものように軽快に車から降り、お御堂に行きしっかりと聖櫃に挨拶をし、仕事部屋に向かいます。しかし、部屋に入るや床に崩れ落ちました。驚いたドン・アルバロは医者を呼び必要な蘇生措置を懸命に施します。同時に赦しの秘跡と病者の塗油を与え、本部の全メンバーに祈りを頼みました。それは1時間半ほど続きましたが、パドレはもどってきませんでした。

ドン・アルバロはこう言っています。「それは私達にとって突然の死でしたが、パドレにとっては随分前から準備してきたものでした。パドレは晩年ますます頻繁に教会のために自分の命を捧げていたのです」と。聖ホセマリアは部屋に入るとき部屋の聖母のご絵に挨拶する習慣を持っていました。仕事場にはメキシコのグアダルーペのマリア様の絵がありました。神父が最期に目にしたのはそのご絵だったはずです。1970年メキシコでの滞在中、ある団らんで気分が悪くなり別室で横になったときその部屋に飾ってあったグアダルーペの聖母の絵を見ながら、「私はこのマリア様を見ながら死にたい」と漏らしました。神様がその望みを聞いてくださったかのようでした。(完)

尾崎明夫