聖ホセマリアは小さい時から目立つことが嫌いで、大人になってからも「自分は隠れ、キリストのみが輝く」ことをモットーとしていましたが、1960年代には国際的に知られた教会人になっていました。このころ欧米の大手の新聞社が取材を申し込んできました。また創立者とゆかりのある町では、町の通りや広場に聖ホセマリアの名前をつけようとする試みがありました。打診されれば、いつも丁寧に断られるので、神父の生まれ故郷であるバルバストロ市は当人に相談することなしに、1971年メインストリートに「エスクリバー・デ・バラゲル通り」の名前をつけ、1974年には市の勲章を授与することに決めました。
この授与式は、聖ホセマリアが中米への旅行から帰ってきたころに予定されました。本人は気が進みませんでしたが、バルバストロ市民の気持ちを考慮したドン・アルバロたちに促されて出席を決めました。5月18日、ローマをたちマドリードを経て、バルバストロ近郊にあるトレシウダッドに向かいました。その建設工事はすでに5年を迎え、完成が間近でした。教会内の祭壇画や彫刻、教会前の広場の周りに建てられた黙想会の家や研究所、回廊などを見て、感動しました(写真)。翌日には中央祭壇を聖別し、バルバストロ滞在の最後の日には、教会の地下にできた多くの告白場に行き、その一つに入りドン・アルバロに告解を聞いてもらいました。
このように聖ホセマリアは元気満々のように見えますが、実はこのスペイン滞在の間、二度ほど心臓の発作と呼吸困難で倒れるということがありました。幸いすぐに回復したので、普通に予定をこなしたのです。その年の3月28日は司祭叙階の金祝記念日でした。その日には過ぎ去った年月を顧みて「50年が過ぎた今も私は幼児のようだ。今も毎日ゼロから始めている」と言っています。5月22日、心臓発作が収まるとすぐ書いたメモには「あの世とこの世の間の幕はとても薄い。いつでも喜んで旅立てるように準備しておかねば」とありました。
