6月7日アルゼンチンに到着。そこでの活動はブラジルと同じようなものでしたが、この国のオプス・デイの成長ぶりは聖ホセマリアを驚かせました。首都ブエノスアイレスでは一般の人々を招待する団らんは6回行われましたが、最後の2回は5千人収容の劇場(写真)で行われたにもかかわらず、入場できなかった人が出たほどでした。参加者との対話には家庭や仕事の苦しい状況を伝えるものもありました。ある女優さんは仕事仲間が陥っている苦境を訴えました。つまり、不道徳な映画を強制され、それを拒否すれば仕事を失い家族を養えなくなるというものです。
創立者は、その苦い現実を新聞や雑誌で大勢の人に知らせ、道徳的にも技術的にも立派な作品を作ってくれる脚本家を探し、同じ考えをもつ役者仲間と協力してよい映画を作るよう助言しました。しかし、彼女は「私たちもそうしました。しかしもう疲れました」と答えます。神父は「頑張って。負けてはなりません。私はあなたのお話を他の場所でもするつもりです。あなたの努力は必ず実を結びます」と最後まで励まし続けました。
広い会場で大勢の人を相手に話すことによって、パドレは喉を痛めました。またアルゼンチンからチリへの飛行機の中で、空調設備が故障し寒さのため風邪を引きます。それでもチリでは活発に働きました。しかし、ペルーに移ると体調を崩し医者は休養を命じられます。そのおかげで少し容態が回復し大勢の人との団らんもできましたが、エクアドルに着くと本当に倒れてしまいました。最大の原因は町が標高3千メートル近い高地にあったことです。そこでベネズエラに移動し療養することにしました。
活動的な聖ホセマリアにとって療養はもどかしいことでした。メンバーたちはいろんな仕方でパドレに愛情を示し、パドレもそれに応えていました。少しでも元気になると喜んで彼らとの団らんを持ちました。しかし、回復の見込みが見えてこないので、とうとう予定されていたグアテマラへの訪問をキャンセルし、8月31日ローマへの帰途につきました。近々戻ってくるとの約束を残して。