聖ホセマリアの生涯-66

いつも活発で愉快だったカルメンが、元気がなくなりました。検査をした結果、がんでした。1957年3月のことです。医師たちはあと二ヶ月の命だと宣告しました。

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聖ホセマリアの姉カルメンは、オプス・デイのメンバーからティア・カルメン(カルメン叔母さん)と呼ばれています。1952年、カルメンは神父に頼まれて海辺の農家を研修会の家にするためにローマに来ました。この仕事は一年で終わりましたが、その後も彼女は弟のサンチアゴと一緒にローマで家を借りて住むことにしました。

ここで過ごした4年間がカルメンの一生で最も幸せな時期となりました。弁護士として働くサンチアゴの世話をしながら、家を訪れる甥や姪(オプス・デイの男女のメンバー)との団らんを楽しむこともしばしばでした。家では犬や鳥を飼い、庭には花やイチゴを栽培しました。

甥や姪が来ると、お菓子やケーキをご馳走し、彼らの健康に配慮していました。ローマでの研修を終えて外国に行く人には、思い出となる品をよく渡していました。もう二度と会うことはないだろうと思うと、「せっかく知り合って仲良くなったのに。こんなのだったら、もう誰とも知り合いたくないわ」と漏らすこともあったそうです。

いつも活発で愉快だったカルメンが、元気がなくなりました。検査をした結果、がんでした。1957年3月のことです。医師たちはあと二ヶ月の命だと宣告しました。それから数日待って、ドン・アルバロがカルメンに告知しました。彼女は落ち着いて取り乱すことなく告知を聞きました。

聖ホセマリアは苦しみました。神の御旨を尊重しながらも、聖櫃の前で、ときに嗚咽しながら姉の治癒を祈りました。オプス・デイ全体がこのために祈りました。しかし、奇跡は起こりません。6月19日、神父は姉に病者の塗油の秘跡を授けました。祈りの途中感動で嗚咽し、そばにいたドン・アルバロに交替してもらいました。

その翌日の午前2時半カルメンは息を引き取りました。遺体を整えて、日の出とともに神父はミサを捧げ始めました。もちろん、姉の霊魂のために。しかし、ミサの中で死者のために祈る箇所で、姉のことを思い出さなかったのです。これは普通あり得ないことです。師はこのことを通して神様がカルメンはすでに天国にいることを教えてくださったと考えました。その日、「カルメンが死んだ時点で、私の涙は枯れてしまった。今は主が彼女を連れて行ってくださったことを感謝している」と言っています。