聖ルカは、アンティオキアで生まれました。彼はおそらくギリシャ人で、医師として働いていました。40年頃にキリスト教に改宗した後、パウロの二度目の宣教旅行に同行し、使徒の生涯の最後の時期を、彼とともに過ごしました。彼は「ルカによる福音書」および「使徒言行録」の著者です。
彼は、イエスの幼少期を最も鮮やかに描き出した福音記者です。イエスの人間性や聖家族の日常生活を思い浮かべる上で、多くの貴重な詳細を提供しています。例えば、主が布に包まれて飼い葉桶に寝かされたこと、マリアの清めと神殿への幼子の奉献、エルサレムの神殿で、幼いイエスが行方不明になった出来ごとなどです。当時のどの家族も、同じような状況を経験していたことでしょう。
聖ルカは、幼少期の物語を次の言葉で締めくくっています。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2・52)。彼は、神の御子が私たちと同じ人生の段階を経て成長されたこと、そして両親に従いながら育ったことを示しています。もし、キリストの生涯のすべてが、父なる神の啓示であるならば、「主が隠れてお過ごしになった歳月は、無意味なものではなく、その後に来る公生活の単なる準備期間でもありませんでした。(…)キリスト信者は主のご生涯を模範として、主に倣わなければならないということです。(…)何年もの黙々とした地味な生活に大勢の人々が道を見つけるように主はお望みなのです」[1]。
イエスのすべての御言葉と御業は、人類に対する神のいつくしみを明らかにしています。「キリストの教えのなかのこれらのテーマをとくに取り上げて書く福音記者はルカで、ルカの福音は『いつくしみの福音』と呼びならわされるようになりました」[2]。 彼は、イエスが失われた人々を探し出し、救うために来られたことを強調し、罪深い女の赦しについて語り、ペトロの否認の後に、イエスが彼をどのように見つめられたかを描き、イエスを十字架につけた者たちの赦しを求めるイエスの祈りと、嘆願を記しています。更に、聖ルカは、神が私たちに愛を分かち合うことを常に求めておられることを強調する、三つのたとえも伝えています。これらのたとえの中で、「イエスは神の本性を明らかにされます。それは、あわれみといつくしみによって、罪から解放し拒絶を砕くまで、決して音を上げない父親の本性です」[3]。
このようなあらゆる詳細の中に、福音と私たちの信仰の核心を見いだすことが出来ます。いつくしみに心を開くことで、善であられる神の無条件の愛を受け取ることができます。神はすべてを成し遂げることができ、私たちをその命で満たしたいと願っておられます。聖ホセマリア・エスクリバーは述べています。「わたしたちに示される神のいつくしみは、いつも立ち戻るよう励まします。子どもたちよ、最も良いことは神の傍から離れたり、神を見捨てたりしないことですが、人間的な弱さによって神から離れてしまったなら急いで立ち戻りなさい。神はいつでも放蕩息子の父親のようにさらなる愛をこめて受け入れてくださいます」[4]。キリストの柔和な姿を記した聖ルカ[5] のおかげで、私たちは主がいつも私たちを待っておられることを知っています。「神は公正であり、私たちの弱さを考慮に入れてくださり、私たちの本性のもろさを完全にご存じであると考えると、なんと心が安らぐことでしょう。では、何を恐れる必要があるのでしょうか。どうして、放蕩息子をあれほどまでに優しく赦された限りなく公正な神が、私にも同じように公正を示し、神のもとに留まり続ける私を守ってくださらないことがあるでしょうか」[6]。
古くから、聖ルカは聖母の画家として知られてきました。確かに、神への応答の模範として、聖母マリアの姿を最も鮮やかに描き出しているのは、福音史家聖ルカです。聖母は、他のいかなる被造物よりも多くの恵みに浴したと、ルカは強調します。マリアは恵みに満ち、聖霊によってイエスを宿し、すべての世代から祝福される存在となるのです。そして同時に、ルカは、これらのすべての恵みに対する聖母の忠実で感謝に満ちた応答も際立たせます。聖母は、天使のお告げを謙虚に受け入れ、神の計画に身を委ね、民の慣習に従いました。
聖ルカは幼少期の記述を締めくくる際に、「母はこれらのことをすべて心に納めていた」(ルカ2・51)と記しています。このことから、聖母が福音記者ルカの主要な情報源の一つであったと推測できます。なぜなら、聖母だけがそのような詳細を語ることができたからです。この言葉は、聖母がどのように現実を受け入れ、常に神を愛そうと努めていたかを示しています。「マリアの如き生き方ができるための秘訣はまさにこの愛なのです。その愛に動かされた聖母は自己を全く忘れ、神のお望みになるところにとどまり、神の御旨を心込めて果たしたのです。そうであればこそ、マリアの些細な仕草に至るまで、取るに足らぬどころか、非常に大切な意味をもっているのです」[7]。 私たちの歩む道が、聖母マリアの導きの光によって照らされるように、聖ルカにお願いすることが出来ます。
[1] 聖ホセマリア『知識の香』20番。
[2] 聖ヨハネ・パウロ二世、回勅『いつくしみ深い神』3番。
[3] 教皇フランシスコ、大勅書『いつくしみのみ顔』9番。
[4] 聖ホセマリア、家族の集いでのメモ、1972年3月27日。
[5] ダンテ『帝政論』1参照。
[6] リジューの聖テレーズ、Autobiographical Manuscripts, no. 8。
[7] 聖ホセマリア『知識の香』148番。