大天使聖ミカエルは、旧約聖書で、神から遣わされて選民を敵から守ったものとして紹介されています。黙示録は悪の力に対して続けた戦いに関して語っています。「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」(黙示録12・7-8)。キリストは悪魔に勝利しました。そしてこの大天使は悪魔を打ち負かします。大聖グレゴリオが述べています。「ミカエルとは、『だれが、神のようなものか』という意味であり、(…) それで、不思議な力を現わすようなことが行われる場合には、いつもミカエルが送られるといわれる。それは、その行為と名前から、神の行いうることを、人はだれも行い得ないことを理解させるためである」[1]。聖ミカエルに、ある使命を委ねることは、それが主だけにできることだ、ということです。「聖ミカエルは勝利します。彼のうちで神が働くのですから」[2]。
聖ホセマリアは、自身の子たちに言っていました。「あなたがたの誰も一人ぼっちではありません。ばらばらの一行詩ではなく、同じ詩、神的な叙事詩の一行なのです」[3]。全てのキリスト信者はキリストの神秘体・教会に属しています。今日は特に心を込めて、天軍の総帥であるこの大天使に、全ての人を見守り、戦う私たちを助け、悪魔の悪だくみから逃れさせてくれるよう頼みましょう[4]。勝利を確信して願うことです。「昼も夜も我々の神の御前で我々の兄弟たちを告発する者が、投げ落とされたからである」(黙示録12・10)。聖ミカエルとの関わりを強めることは、神の力に対する信仰を深め、私たちをより謙遜にし、神ご自身との一致を次第に深めるでしょう。「わたしの骨はことごとく叫びます。『主よ、あなたに並ぶものはありません』」(詩編35・10)。
教会のカテキズムは、「天使は全存在をあげて神に仕える者、神の使者です」[5] と言っています。彼らは仕えることだけに専念します。主のご計画に喜んで協力し、それを人々に伝えるためにいるのです。また、あらゆる使者のうちに、ガブリエルのようなものはいません。その名前は「神の力」を意味し、主の使者として、いろいろな機会に主の贖いの計画を伝え、その実現に協力する人を招くため、送られました。例えばこの天使はザカリアに言います。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである」(ルカ1・19)。また預言者ダニエルもこの大天使について書いています。「先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころであった。彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。『ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た』」(ダニエル9・21-22)。
聖ルカは、大天使の挨拶に驚く聖マリアのことにふれ、天使が答えたことを記しています。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」(ルカ1・30)。ガブリエルは、さまざまな状況に、落ち着いて、希望をもって対処するために必要な慰めを、神から獲得してくれます。また、お告げの時のように、私たちの能力を超えるように思えることを知らさせるときも、彼は「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37)ことを思い出させてくれます。常に私たちの内的戦いの大切な支え手なのです。聖ホセマリアが書いています。「まるで世界全体があなたの上にのしかかってくるようだ。辺りを見まわしても出口のかげさえ見えない。今度こそ駄目だ、この困難を乗り越えることは…。神はあなたの御父であることをまたもや忘れたのか。全能にして、無限の知、あわれみ深い父であることを。主があなたに悪いことなどお送りになるはずがない。あなたを悩ますそのことは、あなたのためになるのだ、今、(肉眼では)、それは分からないだろうけれども…」[6]。大天使ガブリエルは、神のみ旨を知らせ、それだけが私たちに喜びと平和をもたらすことを理解できるように助けてくれます。
トビト夫婦は、若い息子を、危険に満ちている道中を遠い街まで一人で行かせることを気遣い、離れたところから同伴するだけでは不充分だと思っていました。そんな時、「どの街道も良く知っています」(トビト5・6)と言って、息子に同伴する心づもりのある明るい若者が現れたのです(トビト5・10参照)。大天使聖ラファエルです。彼は若者トビアの道連れになり、様々な事柄から学ぶことを教え(トビト6・1-9参照)、サラとの結婚をためらう彼を恐れないように励まし(トビト6・16-18参照)、彼女を妻に迎え愛するように諭し(トビト6・19参照)、こうして、彼の両親の喜びになるよう助けました(トビト11・9-15参照)。
トビアと共に務めを果たしたことから、聖ホセマリアは、オプス・デイの使徒職の〈瞳〉として大事にしていた若者との使徒職を、大天使聖ラファエルに委ねることにしました。若者のキリスト教的な形成は、教会とオプス・デイにおいて優先させるべきことです。次の世代も、私たちに平和をもたらしたものと同じものを切望するはずですから。全てのキリスト信者は、どんな形にしろ、福音の喜びの種まき人としての使命を与えられています。私たちは、多くの若者たちを助けるよう招かれました。それは「彼らが―今、そして今後の人生において―家庭や専門職、社会に広がる人間の様々な生活分野で、キリスト教的な酵母となるように」[7] するためです。
「様々な試練のある人生途上で私たちは一人きりではありません。神の天使たちが同伴して支えてくれているのです。言うなれば、彼らの翼は、多くの艱難を乗り越え、私たちの人生を重苦しくしたり、つまらないことに引き寄せたりする現実から、高く飛翔できるよう助けるためにあるのです」[8]。三大天使は、人生の最期まで私たちに同伴してくれるでしょう。そして、そこ、天国で天使の女王であられる聖母を見つめることができるのです。
[1] 大聖グレゴリオ、 熊谷賢二訳『福音書講話』、創文社、1995年、212頁。
[2] フランシスコ、一般謁見演説、2013年7月5日。
[3] 聖ホセマリア、説教、1961年3月12日。
[4] 大天使聖ミカエルに対する祈り参照。
[5] 「カトリック教会のカテキズム」329番。
[6] 聖ホセマリア『十字架の道行』第9留、黙想のしおり4。
[7] フエルナンド・オカリス、司牧書簡、2018年6月8日。
[8] フランシスコ、一般謁見演説、2013年7月5日。