神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について(IV)神の慈しみ

フランシスコ・ルナ著(新田壮一郎訳)『神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について』より

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神の慈しみ

福音書のいたるところに、イエス・キリストのわたしたちへの態度やわたしたちを見る眼差しが、慈愛にあふれたものであることを示す個所があります。ご自分の教えを聞くために、従い来る群衆の食物についてまで気遣われ、二度にわたってパンと魚を増やされました。また、兄弟である人間を思う心は、特に恩恵の生活をするようにと、お勧めになるところに一番よく表れています。聖マルコによる福音書にこんな話があります。イエスがカファルナウムにおいでになった時、人々が大勢集まり、戸口さえも隙間のないほど大勢の人が集まっていました。その時、人々は四人で担った中風の病人を連れて来ましたが、人が多くてイエスのそばに近づくことができませんでした。そこでイエスがおいでになった所の屋根に穴をあけ、中風の人が寝ている床を吊り下ろしたのです。主は付き添いの人々の信仰をご覧になって病人に言葉をおかけになります。病人その人が主の関心の的であることをよく表わしています。「子よ、あなたの罪は赦される。」福音史家はさらに続けます。そこに居た人々は「心の中であれこれ考えた。『この人はなぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、一体だれが罪を赦すことができるのだろうか』。イエスは、かれらが心の中で考えていることを、ご自分の霊の力ですぐに知って言われた。『なぜ、そんな考えを心に抱くのか。そして、中風の人に言われた。『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。』その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々はみな驚き、『このようなことは、今まで見たことがない』と言って、神を賛美した」(マルコ2・3~12)。

今見今見た福音書の場面の中で、一番人目を引くことは、みなが注視する中で病人を癒されたことです。しかし、さらに感嘆に値するのは、罪をお赦しになり、天国への扉をいっぱいにお開きになったことです。これと全く同じように素晴らしいことが、今日もゆるしの秘跡において繰り返されています。イエスは、ペトロやその他の弟子たちに、罪を赦す権能を約束なさっただけでなく(マタイ16・19、18・18)、ご復活の後で次の言葉をもって、実際に権能をお与えになったのです。「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る』」(ヨハネ20・22~23)。