エチェバリーア司教のインタービュー

ご聖体に関する世界代表司教会議にあたって、「ラ・ガセータ・デ・ロス・ネゴシオス」紙のフェルナンド・ラヨン(以下、FR)とのインタービュー(2005年10月10日)

FR エチェヴァリーア司教様、今回の世界代表司教会議の特徴は「硬直化」だという人がいますが…

JE司教 それは間違いでしょう。教皇様は世界中の司教とお招きになった神学者と専門家たちの考えに耳を傾けたいとお望みです。ご聖体の秘跡をより一層良い方法で生きるために役立つ諸問題を分析し、教会全体にとって大きな助けになる決定がなされるものと確信しています。

FR ベネディクト16世が、ベルナール・フェライ(レフェブレ・グループのリーダー)、それにハンス・キュングと会われたニュースを見ると、現教皇様の別のイメージが見えてくるのですが、どうお思いですか?

JE司教 会見の内容についてはあまり資料をもっていませんが、教会がすべての人に開かれた存在であることに変わりはないということは明らかです。教皇様は人々が神に近づけるよう、神のために人々を取り戻すよう、できるだけのことをなさっています。真理を探し求めている人なら、神を見つけるでしょう。

FR 数日前、ベネディクト16世教皇はバチカンでオプス・デイ創立者の彫像を祝福されました。オプス・デイは前の教皇と同じように現教皇とも良い関係を保つのでしょうか?

JE司教 聖ペトロ大聖堂には150体のあらゆる時代の聖人像が置かれてあります。教皇様がこれらの彫像を祝福なさるということには大きな象徴的な意味があると考えています。聖人たちも教会を築き、その善徳によって教会を飾っていること、また教会がカトリック信者に聖人たちの魅力ある模範を提供していることを明らかに示しているからです。

FR オプス・デイにとって、どういう意味がありますか?

JE司教 具体的に聖ホセマリアの場合、聖ペトロ大聖堂のその姿は属人区が教会に仕えるためであることを示し、また、教会に仕えることがすべての信者の熱い望みであることを表わしていると考えます。

FR 教皇は彫像を祝福しされましたが。

JE司教 ご存じのように、ベネディクト16世の祝福は私にとってこの上ない喜びでした。あの祝福のとき、聖ホセマリアなら言うだろうと思われることが、頭に浮かんできました。聖ホセマリアは、特別な日も含めて毎日、些細なことがら、日常的なことがら、大勢の人が気付かないようなことがらを大切にすべきであると教えていたのです。

FR 1975年に創立者が帰天してから今まで、属人区に変化がありましたか?

JE司教 オプス・デイは生きた組織ですから、時とともに成長し円熟します。勿論それは、神の恩寵とその計画に従って、また一人ひとりの男女の戦いを続ける努力、さらに素晴らしい学び舎ともいえる個人的な失敗のおかげでそうなるということです。

FR 失敗もあったでしょうが、ヨハネ・パウロ2世教皇の時には、オプス・デイがあらゆる意味で発展を遂げたことは否定なさらないでしょう?

JE司教 この30年間には、当然ながら、人や国や新しい使徒職という点で大きな進歩がありました。教会と世界の状況が変わりました。ヨハネ・パウロ2世の存在の大きさを考えるだけでもそれがわかります。オプス・デイにおいて、創立の精神そのもの、日常生活と職業そしてキリスト者としての義務の遂行を通して聖性を目指し使徒職をすることへの招きなど、本質的なことがらには何らの変化もありません。

FR もっとも大きな変化は何でしよう?

JE司教 あなたの言葉を使って大きな変化というなら、それは、多分、1975年以後に起こった二つの大切な出来事と関係があります。最初から聖ホセマリアが予見していたことですが、オプス・デイが属人区として設置されたこと、そしてこの聖なる司祭の列聖です。この二つの画期的な出来事はある意味では計り知ることのできない結果をもたらしました。中でも教会におけるオプス・デイの霊的な目的が荘厳に確認されたという点です。

FR 列聖はメンバーにとってどのような意味をもっていますか?

JE司教 私見によれば、列聖と共に、属人区の信者がより強く責任を感じ、福音宣教にコミットするよう励まされ要求されていると感じたことでしょう。列聖式に先立つ数ヶ月間、少なくとも私は列聖によって新たな改心と新たな神探求に向かわなければならないと自分に言い聞かせていました。

FR その改心は、今オプス・デイが繰り広げている新しい使徒職と関係がありますか?

JE司教 使徒職はそれぞれの場に固有な必要にかかっています。社会と人々の新たな必要に応じて適切な使徒職が生まれます。具体的に言えば、最近、家族に関する種々のかたちの無数のイニシアティヴが生まれています。それぞれに固有な形のものですが、大勢の人たちから現在推進中の計画について話を聞くという幸運を得ています。結婚した男女のための霊的形成、夫婦愛や子供の教育に関するコースなどです。

FR 属人区の使徒職は家族に向けられているようですね?

JE司教 この種のイニシアティヴが無数に現れるのは当然だと思われます。今も昔も、家族はいのちと幸せの源だからです。家族的な面の重要性がますます増していることは明らかです。人々にとってどうしても必要な愛情と社会に必要な力を与える家族の重要性が強く感じられているのです。

FR 家族に関係のある使徒職はオプス・デイ特有のものですか?

JE司教 オプス・デイにおいて、使徒職は人から人、友人から友人へ、という具合に行なわれます。福音宣教に効果が上がるかどうかは構造や組織の問題ではありません。大切なのは、カトリック者がイエス・キリストを人々に示すことです。人々がキリストの御言葉の美しさと真実を発見するよう助け、周りにいる人たちと愛をもって接することです。

FR それはすべてのキリスト者の使徒職でもありますね。

JE司教 「仕えるために(あるいは役に立つために)使える」と聖ホセマリアは繰り返し教えました。この言葉が教会の福音宣教の仕事に当て嵌まることに疑いはありません。人々に仕えるならば、福音の伝達者としての教会に仕え、役に立ちます。キリスト者としての証明はこのように要約できるのではないでしょうか。

FR オプス・デイが二人の枢機卿と、ブルゴスとバルセローナの二人の司教を有するということは、属人区にとって影響がありますか?

JE司教 お答えする前に、ご質問にある言葉について確認させてください。オプス・デイは枢機卿も司教ももっていないからです。枢機卿や司教は仕事の面で教皇様に依存しています。また、少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、さらに申し上げるなら、「有する」という言葉は属人区の信者にも当て嵌めることができません。確かに、オプス・デイに「属する」と言い、また教区は司祭と信者を「有する」とうことがありますが、「属する」といのは所有物になることではなく、別の関係ですから。

FR 今のご説明を受け入れます。

JE司教 ご免なさい。こういうことを申し上げたのは、間違った考えをして、教会は信者を好きなようにするというような意味で話すことがあるからなのです。ところが、教会とは人々が自由に生きる場です。また、オプス・デイにおいて、自分と他人との自由の第一の擁護者は常に聖ホセマリアでした。

FR しかし、任命がオプス・デイに影響を与えなかったはずはないと思うのですが。

JE司教 属人区の司祭が枢機卿や司教に任命されるということは、実は、オプス・デイに固有な使徒職にとって大切な働き手を失うことになります。勿論、こういうかたちで教会に仕えることですから、喜んで受け入れます。

FR 自由の話になりましたが、スペインは事実上キリスト教的でなくなりました。法律においても習慣においても。この国の将来をどうお考えでしょうか?

JE司教 おっしゃったような絶対的な言い方はそのまま受け入れることができません。スペイン社会の大部分はキリスト教的だと今も考えています。多くの面で、社会の殆どのところで、キリスト教的な生活をしていると思っています。たとえば、豊かな伝統、それは宗教的な意味を保存しており、生活にしっかりと根を下ろし、人気があります。また、現実には、キリスト者とは個々の人格であることを申し上げておきたいと思います。

FR おそらく、スペインでは信者であると自称する人々が実はそうではなく、信者らしい生活をしていないのではないでしょうか?

JE司教 信仰に関していうならば、将来は開かれています。まずカトリック者は、自分の説得力ではなくて、神の恩寵とその慈しみを信じています。さらに、信仰とは使徒職を通して伝達してゆくものですから、将来は私たちの手中にあるのです。私たちカトリック者が互いに元気を出して首尾一貫した生き方をし、喜びにあふれて謙遜、欠けるところのない生き方をするよい働き人であれば、国の公的な生活に参加して国民としての権利と義務を行使するならば、スペインにおける教会の展望は希望に満ちたものとなるでしょう。

FR でも、雰囲気がキリスト教的でないということは否定できないのではありませんか?

JE司教 外的な雰囲気は確かに影響を与えますが、信仰の将来は何よりもキリスト者の忠実にかかっています。

FR 多分、司教様がケルンでご覧になった青年たちとは異なるのではないでしょうか?

JE司教 ケルンの集いに参加した人たちは、大勢の青年たちが神に出会いたいと熱く望んでいる様子を目の当たりにしましたが、彼らだけでなく、世界の隅々から起こった大動員を見て心を動かされた大人たちも、同じ望みを体験したのです。

FR しかし、ケルンを別にすれば、世界は神から離れていると言えるのではありませんか?

JE司教 おっしゃるとおりです。他にも多くの兆候があります。残念ながら、人々は神から離れ、他所を見ているようです。一覧表を作る必要はありませんが、ベネディクト16世教皇様が明白に指摘されたように、暴力の芽、社会災害、いのちの軽視、相対的な考え方などが蔓延しています。しかし、現代の諸悪を並べ挙げたり、現代社会の良い面に目を閉じたりしたくはありません。

FR ところで、キリスト者はこのような状況を前にして何ができるのでしょうか?

JE司教 いずれにしても、悪に対する態度は不平を言うことでも嘆くことでもなく、謙遜と喜びの心で決心をして、たとえ砂の一粒に思えるようであっても皆で善を広げることです。聖ホセマリアが好んで繰り返した言葉を思い出します。「平和とよろこびの種蒔人」、これこそキリスト者のなすべきことです。

FR スペインでは公的な生活にオプス・デイが存在するのを怪しむ人がいるようですが。オプス・デイの力や活力...

JE司教 あなたがおっしゃったことは、実際にはずっと少ないのですが、その人たちの態度はすでにお話した問題を反映していると考えます。即ち、カトリック信者全員を、特にオプス・デイの信者を、一つの集合体の部品や組織の部分のように考え、彼らが上からの命令に盲目的に従い、政治的なことがらにおいて団体として行動するという思い違いです。現実はまったく異なります。スペイン、ここ80年足らずの間にオプス・デイを直接に知った数百万の人々は各自の自由をどれほど尊重しているかの証人です。

FR 多分、オプス・デイの信者が政治の政治に世界に入るのを拒絶しているのでしょう。

JE司教 公的生活と政治におけるカトリック者の自由が理解されるにつれて、また過去のイデオロギーや閉ざされた狭いメンタリティーに属するような考え方が克服されるにしたがって、オプス・デイの信者も他の市民とまったく同じ自由を享受しているという事実が理解されることでしょう。

FR 教会の様々な組織は社会で重要な役割を果たすとお考えですか?

JE司教 現代社会の進歩を示す一つの大きな兆候は、日毎に、市民・普通の人間の諸権利を考慮するという点でしょう。人間の共同体は自由に選挙権を行使し、税金を支払い、ますます専門化した職業に従事するなどのかたちで形成されています。社会を形成するに当たり決定力を有するのは市民・国民です。

FR そのような人間にとって宗教が提供することがらは関心があるとお思いですか?

JE司教 勿論、そう思います。教会が信徒の間で、福音宣教を繰り広げるは当然であり自然なことです。自由と責任をもって信仰の光を人間の諸活動の中心にもたらし、高貴な仕事をさらに尊厳あるものにし、神の似姿として造られた人間の素晴らしい尊厳に見合った社会を建設することこそ、まさしく信徒の役割なのです。

FR しかし、宗教が提供するものに対して関心を示さないかもしれません。

JE司教 教会の目的・行き先と世界の目的・行き先とは対立しないだけでなく、別々の道でもありません。いずれも市民・国民の責任、カトリック者の責任、特に信徒の責任にかかっています。

FR 司教様は楽観的な方ですね。

JE司教 歴史の変転を越えて、主の約束は私たちの希望の確かな根拠だからです。「私は世の終わりまであなたたちとともにいる」とおっしゃったのです。この御言葉こそ、私を楽観的にさせる理由です。たとえ、苦しみや困難を克服しなければならないとしても、真理は必ず勝利を得るからです。