『世の真っ只中にいて観想の人となり、仕事を祈りに変える努力をしなければならぬと、私は飽くことなく繰り返すのである。』
教皇フランシスコは「聖年の恵みにあずかる中でのこの四旬節に、『希望をもってともに歩む』ことの意味について、また、いつくしみをもって神がわたしたち皆に――個人としても共同体としても――呼びかけておられる回心の招きについて」考えます。
教皇フランシスコは、年間第3主日を「神のことばの主日」と定め、神のことばを祝い、学び、 広めることにささげる日としました。2025年は1月26日に祝います。
「兄弟姉妹の皆さん、イエス・キリストは復活されました。キリストだけが、いのちへの道を塞ぐ石を取りのける力をお持ちなのです」。
「ワールドユースデー・リスボン大会」は閉会日を迎え、教皇フランシスコは大会記念ミサをとり行われた。(バチカン・ニュースより)
2022年の大晦日、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で夕べの祈りをとり行われ、この中で同日午前逝去した名誉教皇ベネディクト16世を思い起こされた。(バチカン・ニュースから)
ルルドの聖母の記念日(2月11日)に第33回世界病者の日が祝われるにあたり、教皇フランシスコは、「神がどれほど苦しんでいる人の近くに寄り添ってくださるのかについて考え」、「その寄り添いが表れる三つの様相」を示します。
「神はどんな石も捨てません。それどころか、もっとも『古くなった』石が、『新しい』石の乗る確かな土台となることで、霊的な家をともに建てるのです(一ペトロ2・5参照)」。
「四旬節は、預言者ホセアが告げたように、荒れ野が再び、最初の愛の舞台へと戻る、恵みの時です。神はご自分の民が奴隷状態から抜け出し、死から生へ渡る道を味わえるよう、教え導いてくださいます。花婿のように、わたしたちをご自分のもとに抱き寄せ、わたしたちの心に愛のことばをささやかれます」。
教皇フランシスコ:「喜びは自分のためではなく伝えるためにあります…この喜びを皆さんのためだけに取っておきますか?それとも他の人に伝えますか?」(日本語字幕をお選びください)
フランシスコ教皇は、オプス・デイ属人区長フェルナンド・オカリス神父と謁見されました。オカリス神父には、属人区長補佐マリアノ・ファッツィオ神父が同行しました。
免償は神のあわれみの計り知れない賜物で、聖年における〈しるし〉のひとつです。教皇庁内赦院は、2025年の通常聖年の期間中に与えられる免償についての規定を示しています。
フランシスコ、ローマ司教、神のしもべたちのしもべ。この書簡を読む人々の心が、希望で満たされますように。
「病にある皆さんにいいたいのは、寄り添いや優しさを求める気持ちを恥じないでほしいということです。隠さないでいいのです。人の負担になっているなどと思わないでください。」
オプス・デイ属人区長、フェルナンド・オカリス神父は、1986年に教理省の顧問に任命され、それ以来、ラッツィンガー枢機卿と共に働きました。オカリス師が、亡くなられた名誉教皇の人柄を回想します。
教皇フランシスコは、9月28日、バチカンの聖ペトロ広場で、水曜日恒例の一般謁見を行われた。この日、謁見中の「識別」をテーマとするカテケーシスで、教皇は「識別」を構成する要素である「祈り」について考察された。(VATICAN NEWSから)